書をたしなむ人

シルバー人材センターのアルバイトを通して、先輩の女性で、書をたしなむ方と知合いになった。

私は書については、全くわからないが、以前の禅会や今の建仁寺の禅会で、管長の方の短冊などの墨跡に接することがあり、いくつか所蔵している。

このホームページの「禅の謎」の所の掛け軸もそのひとつである。ただし、ほとんど崩し字で読むことはできない。

この方は、雅号を「白穂」(びゃくすいと読むらしい)と称しておられる。(雅号というものの存在すら知らなかった)

20年余り書に関わり、特に最近12〜13年は書に集中しておられるらしく、数人の方に教えておられるとのこと。

書には、隷書、楷書、草書、行書などの書体があるらしく、わからないながらも、自分が、隷書が好きなことは認識している。

この方とは、こんな書体のことや、特に書聖、王羲之の蘭亭序について話す機会があった。

今から1700年余り前の中国の書で、原本はまだ発見されておらず、唐の皇帝の陵墓に眠っているらしい。

さぞや、高貴な内容の文書だと思いきや、曲水の宴のような宴席で、人生のはかなさを憂う、およそ愚痴のような内容で、これは永遠に民衆から離れない問題だというように解釈されているが、読むと確かに、昨日書いたような感じの文章である。

人生のはかなさは、永遠のテーマと言える。

その蘭亭序などを手本に、模写することを臨書ということも知った。

芸術・文化は奥が深く、私などには理解はできないが、興味がわくことは止められない。

そう言えば、長崎の小学校の時の先生は、生け花をされていて、たまに京都の池坊の六角堂を訪ねていると聞いた気がする。

およそ文化的だとは言えない日々を過ごしているが、ちょっとした出来事を通じて、文化の端の端に触れることがあると、少しの豊かさを感じる幸せに感謝したい。

これからも書について、色々教えを乞いたいと思うところである。

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