初めて「コンピューター」と言う言葉を聞いたのは、遅いのかもわからないが、高校の卒業式の終わった、最後のホームルームで、数学の教師だった担任が、「私も定年間際なので、退職したら退職金でコンピューターを買いたい」とおっしゃった時のように思う。
どういうもので、どう使うのかなどは、まったくの不明だった。 1970年代前半の3月のことである。
アポロの月面旅行がコンピューターに支えられたものだったということなどは後で知ったことだ。
このコンピューターを実際にすぐ目にすることになる。それは翌年、就職した職場に計算室があり、大型のユニシスのコンピューターが設置されていた、その光景だった。
その計算室に、今HPなどで色々お世話になっている、大学院で情報処理の研究をしたT氏が配属されていた。
そして、後に、いよいよ自分で使うことになる、NECのパーソナルコンピューターが、この計算室に2台設置された。
そのPCはNEC PC−9801であり、価格の安価なエプソンPC−286Vだった。
当時、ワープロ専用機が先行して設置されていたが、この時、T氏が「これからはコンピューターの時代になる」と言っていたことを思い出す。
職場の導入方針は、ワープロ専用機の導入一色だった。このことは何を意味するのだろう。
その時の私の仕事が、主に計算して表を作るものだったので、マルチプランなる表計算ソフトに飛びついた。
仕事の流儀でも書いたが、もう一人の自分が現れ、仕事をしてくれているという感覚だった。
計算式を入れ、それを、コピーすれば、どんどん計算してくれ、苦しんでいた計算間違いから解放された。
仕事に振り回されることから、仕事をコントロールすることができるようになった。
それ以来、個人としても何台ものPCを購入していった。
MS-DOS、INTERNET、WINDOWS、OFFICE、メール、Zoom、もう私はついていけない状態である。この進化は、光速的だと思う。
スマホでZoomのリモート会議も数回経験したが、今のところ、なかなか上手く参加できないでいる。これも一興か。
ただ言えるのは、パーソナルコンピューターの導入される前の手書き時代とこのコンピューター時代の変化を、身を持って体験してきたことである。
まったく意味のないことだが、マイクロソフトのビル・ゲイツは同い年。
今、ホームページをアップしているが、大げさだと思うが、自分によくできたと驚いている。T氏には重ねて感謝しかない。
私の場合は、コンピューターの波に、今のところ、乗れるどころか振り回され、流されっぱなしの状態である。
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