退職後のネットワーク等

「仕事の流儀」で現職時代を振り返ったが、結局、健康でリタイヤできたことを感謝しているだけで、実際の所、元の職場・職についてはほとんどボロボロ状態でのリタイヤではなかったかと思う。

それから、時は容赦なく過ぎているが、リタイヤ後についても、書けることが多くなってきたので記すことにした。特にこの間の人との繋がりの面白さには驚きすら感じる。

最初の1〜2年は知り合いとスイスやアメリカに行ったりしたが、元の職場の話はしないし、当然近づけないし、現職の知り合いと鉢合わせしないかなどを考えていた。

状況が変わってきたのは、B型肝炎の訴訟に取り組むようになってからだ。病気に関しては元の主治医も変更したし、禅会も変わった。

リタイヤを期に、長崎のH恩師に会いに行き、全く音信がなかった小学4年の担任のT恩師と連絡が着いた。古い人生の棘だったあの頃の出来事をお二人に50年ぶりに話すことが出来、忘れ物を見つけ出せたような思いとともに新たな関係を作ることが出来ている。

4年の時の恩師と面談し、九州から帰る新幹線で、自分史の投稿を考え破れかぶれで実施した。当然落選だが、その原稿を元に、バレーの友人Y氏や職場の先輩T氏の力をお借りして、このホームページをアップすることが出来た。

また、4年半を要しようやく和解が近づいてきた訴訟で、色々迷惑をかけている担当K弁護士の「他の方の裁判期日の傍聴に来ませんか」の言葉から、肝臓病患者の支援活動のため、京都の患者会に参加し会報作成や講演会のサポートなどのお手伝いをするとともに、大阪の原告団活動や東京での日本肝臓病患者団体協議会の活動にも参加するようになった。

そこで多くの方を知り新しい関係を構築でき、幸運にも辛い記憶の中の母校、立命館大学で患者講義をすることができた。その他色々な患者支援活動に参加することにもなった。今まで苦手で避けてきた人前で話すなどにも、楽しくトライできるようになってきている

さらに支援活動に参加するため、大阪に京阪電車で向かう車両の中で、偶然にも高校のバレーボールの同窓生H氏に数十年ぶりに会い、バレーの同窓会に参加させてもらうことになった。それが前述のY氏との再会で、ホームページに結びつき、その延長で、さらにママさんバレーやバトミントンのサークルにも参加させてもらえることにもなった。(コロナ過の中、肘の故障で断念) 

同じ頃、同じく高校の学年同窓会にもクラスのお手伝いで参加していたが、多くの同窓生と新鮮な感覚で、新たな関係を築き始めている。特に東京に行く機会が増えたことにより、東京在住の同窓生との面談・会食を東京でできたことは、予想すらしていなかったことで嬉しい限りである。

その時期並行して、ボランティアのつもりで、聴覚障害者施設で雑用のアルバイトをしたが、手話がなかなかものにならず、しかも業務が高度になり、結局辞めざるを得なくなった。残念である。

また、当時シルバー人材センターの役職をしていた、ホームページのT先輩のお誘いもあった、シルバー人材センターに登録し、細々ではあるがアルバイトができ、そこでも新たな人間関係を作れていることも驚きである。

元の職場の先輩の紹介で、同じ先輩お二人とNHK歳末たすけあいの事務のアルバイトもすることが出来ている。これらの中で高校時代にアルバイトで味わった、無心に働くだけの快感を、感じることができた。本来働くことは楽しいことだと改めて思った。

リタイヤ前から、少数ではあるが元の職場の方との関係も充実しているし、私を温かく向かいいれて、会食はもとより、グルメの旅行で台湾に行ったり、お付き合いしていただいていることもありがたく思っている。

高校からずっと続く同窓生との関係も、会食を初めとして引き続いてお付き合いができている。また、古い友人と連絡が取れたりもした。

そして、最近ようやく元の職場のことを話したり、会いたいと思う方と連絡を取ったりすることが、まだ少し蟠り(わだかまり)を感じてはいるができるようになってきていることに嬉しさすら感じている。

リタイヤ後、10年近くになるが、リタイヤ当時、今のこの状態を想像できただろうか。仕事を辞めることばかりを考え、何をするのかなど考える余裕もなかったが、このような新たなネットワークができ、さらに広がろうとしている今のこの幸運を感謝してもしきれない。これからもさらに自分としてやれることを精いっぱいやって、多くの方とさらに良好な関係を保ちたいと思う次第である。やっと本番が来たなどとさえ感じている。それこそどうなるかは分からないが、自分の取っている行動に、ようやく実績が少しづつ伴うような気がしている

このようなネットワーク等の広がりだが、2020年当初からのコロナ禍で少しずつ生活に支障が出始め、今まさに第8波の大波が関西、関東、中部、九州の福岡をはじめ全国を覆い始めている。長く生活が著しく制限された状態が続いている。

何度か伺った東京の、同窓生の喫茶店Yご夫妻の、コロナでの悲しい出来事にも遭遇した。

3年近くになろうとするコロナ禍では、やはり行動制限などで色々な支障に見舞われてはいる。アルバイトの支障、京都市内から外への移動制限、会食などでの友人・知人との面談制限、体力の低下によるバレーボールなどのスポーツ活動の断念(老化のためかもわからないが)、感染への持続的な恐怖感などである。

それでも、今までの入院体験、病気の中での夜間大学への通学、40年もの不運が多かった現職時代などを経験したためか、今のこの状況に、致命的な苦痛を感じないで過ごせている。

例えば、近くを流れる宇治川の堤防の散歩で、顔が真っ赤な日本の国鳥、雉(きじ)を見たりなどそれなりに思っても見ない楽しい経験をしたりしている。

改めて、このような幸運は、正に最前線でコロナと戦っておられる医療関係者や社会の土台を支えて頂いている多くの方々の力によるものだと、感謝とエールを送るとともに、一日も早い収束を心から願うところだ。

名刺

名刺との出会いは、高校を卒業した1年後、B型肝炎で苦しみながら、夜間大学に通っている時で、仕事で名刺を使うことになったが、なかなか社会人としての自覚もない中、唯一大人になったという感覚を味わうことができたアイテムだった。

しかし、降格になった時から、名刺とは縁がなくなってしまったし、これからの人生で名刺を必要とすることは、二度とないと思っていた。

ところがどうしたことか、B型肝炎患者の支援活動で使うことになり、さらにシルバー人材センターのアルバイトでも、名刺を使うことになった。

不思議なことだが、少なからずうれしさを今は感じることができる。

登山や歴史散策でご一緒するI氏は、定年退職後も引き続き、管理職で、課長の名刺を使っている。

リモート会議

さらに、B型肝炎の活動の中で、リモート会議も経験することができた。

ZOOMというアプリを使って、家に居ながら会議に参加することができた。ただし一度で上手くいったわけではない。

利用できる通信環境、つまり、wifiの環境のような通話データ容量が整っていることで、今のところ、パソコンではまだ利用できないので、スマホで参加しているが、当初音声が突然途絶えたり、こちらの声が聞こえないなどのアクシデントがあった。

いずれにしろ、現役を終えたものがかかる経験をできることに感謝を感じる次第だ。

定年後の生活

現職を退いて早10年近くが過ぎようとしている。現職時代に引きずられることなく日々が過ぎていて、まるで子供時代に戻ったように色々のことにチャレンジできている。

幸運なことに、暇でしかたがないなどと言っていられないくらい色々なことに巡り合っている

まず、友人を初めとする人との繋がりである。自分でその機会を作ってはいるが、多くの友人・知人が会ってくれて話をしてくれている。同窓会・飲み会もしかりで、これが実に楽しい。

現役時代にこれと言った実績が自分にないからか、知人・友人の経験談などを聞く楽しさがある。

さらに、B型肝炎に関する、人前で話すことなどのボランティア活動が未経験の体験で、使命感などで、ワクワク感いっぱいである。

アルバイトも、短期間でしかも色々のことを経験できていて、好奇心いっぱいで楽しい。例えば、京都中を歩き回るアルバイトなど、本来働くことは楽しいということを再確認できている。

また、新たな出会いもあり、記憶力の衰えなどと言ってはいられない状況でもある。

そしてこのホームページとの出会いである。自分を表現することの楽しさを感じさせてもらっている。

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