京都徒然月日記

2024年4月

今年はなかなか寒さが無くならず、桜の開花も遅れている。

2024年4月高校を卒業後50年が経った。そして何よりB型肝炎を発症して50周年となった。

よくここまで生きてこられたと感謝しかない。

50年前突然、受験浪人と75日間の入院を含めた肝炎患者の二つのハンディを背負い込み途方に暮れた4月だった。

そんな遠い昔の辛い思いを思い出してしまったが、それでも桜が咲き、春はやってきた。

思いっきり春をと思い、春の写真を載せることにした。

1つが、都おどりの祇園歌舞練場

2つ目が、花見小路辺りで見た盆栽

3つ目が、円山公園の枝垂れ桜

4つ目が、東寺の桜

辛い思いもあり、楽しい思いもありで、時は流れていく。

一瞬の華やいだ幸福感を大切に、1歩1歩人生を進む思いを新たにした、春真っ盛り京都から。

2024年3月

春3月とは言えまだ小雪の舞う日もある京都

今年の大河ドラマ「光る君へ」が始まっているが、最近、紫式部が源氏物語を執筆したとされる蘆山寺に行くことがあった。

いつもはほとんど観光客が訪れないような感じらしいが、行ってみると、観光バスでの観光客が押し寄せていた。

建物入り口には、筆を持った紫式部の像が置かれていたが、あまり大きな建物ではないので、観光客でごった返していた。

この蘆山寺には今回初めて行くことになったが、今から50年近く前、すぐ南側の立命館大学広小路学舎に、夜間大学生として3年間通っていた。

当時は、病気を押して昼間働き、夜大学へとかなり厳しい生活を送り、病状の悪化で休学を迫られる状況にも遭遇していた。

その頃のことを思い出してみると、横の梨木神社の北の校舎でゼミが開かれており、蘆山寺の前を幾度となく通っていたのだろうが、夜という事もあり拝観してはいなかった。

そして、体育の授業の時は、病気療養生として見学していたが、視覚障害の学生を河原町通りの向かい側の京都府立医科大学の北にあった、立命館大学の体育館に付き添うことがあり、蘆山寺の北側の清浄華院の境内を通り抜けて、体育館に行っていた。

久しぶりに訪れた、京都御所の東の寺町通り辺り、50年という月日の長さと共に時の流れの速さを改めて実感したところである。

しかし、源氏物語は1000年以上読み継がれている世界の物語である。

その執筆の地を訪れ、春の息吹と花粉の季節の到来を感じた。春真近い京都から。

2024年2月

2月、1年で一番寒い季節。そして節分 京都では多くの寺院で節分祭が模様されますが、一番ポピュラーなのが壬生寺と吉田神社で、その間を臨時の市バスが走り、両所を多くの参拝者が訪れている。

今年初めて吉田神社に行き、福豆を買うことが出来た。

吉田神社福豆

参道には多くの露店が出て、参拝者を楽しませている。

恵方巻きの方角は東北東らしい。健康と家内安全を祈りながらかぶりついた。

京都洛中膝栗毛で相も変わらず京都市内を回り新しい発見をしているが、1つ1つの詳しい説明はできていない。

春夏秋冬の京都の良い場所を思いつつも、説明できない未熟さを嘆くありさまだ。

今年のトピックスと言えば、市長選挙、果たして新しい市長は誰なのか、2月4日に決まる。

今、京都の観光地で1番人の多いのはどこなのか、1番のお土産は何なのか、1番の食べ物は何なのか、多くの観光客を見ながらふとそんなことを思ったが、自分自身で行ったことがないところなどがまだまだ多い京都である。

少しずつ確認していきたい。そんな京都から。

2024年1月

明けましておめでとうございます

龍の年 天にも昇る勢いのある年であってほしいと思う。

新型コロナも昨年5月に5類へ移行したが、世界ではウクライナ戦争やパレスチナ・ガザ地区の惨事などが年を越してしまった。

一体何時になったら平和が訪れるのだろうか、悩ましい年明けである。

そんな中、京都の西、酒の神様の松尾大社には写真のような絵馬が、そして、桂川を渡った梅ノ宮神社にも写真のような絵馬が掛っている

松尾大社絵馬

梅ノ宮神社絵馬

昨年と同じように忙しい年になるのも良いとも思うが、禅寺で静かに座ったり、お抹茶を楽しんだり、「趣」のあるお庭を眺めたり、様々な楽しみが京都にはあるので、バタバタと動き回るばかりではなく、静かな京都を楽しみたいものだと改めて思うところでもある。

初詣はいつもの京都郊外、大阪寄りの八幡市の石清水八幡宮へ行く。

今年は高校を卒業して50年になるし、同時にB型肝炎が発症して同じく50年になる。人生で重たい荷物を背負されて生きてきた感はいなめないが、それでも、なんとか病気をあしらいながらやってきた。感謝である。

今年は、色々な意味で具体的な目標というか、物事の結末が見れる状況が到来している。果たして結果はどうなるのか。

そのような思いを抱きながら新年を迎えたが、改めて「いつものように」を心に決めて1日1日を充実させたいと思うところである。

繰り返しになるが、あれだけ生活を一変させた新型コロナも落ち着きつつある中、ウクライナ戦争やパレスチナの惨事が一日も早く収束することを願いながら、楽しい観光ができる落ち着きある京都を紹介していけたらと思う新年の京都から。

2023年12月

12月になった。この一年は、人生の中で最も早く時間が経過したような感じの一年だったように思う。

肝炎支援に関する事になるが、1ヶ月があたかも1週間のように色々の事があったし体験することになった。

また、シルバー人材センターのアルバイトも細々ではあったが継続できている。ありがたいことだと感謝している。

しかし、そのことが原因なのかもわからないが、睡眠障害がかなり長く続いている。

以前NHKの「試して合点」で、睡眠の専門家の話を聞いた。寝入りばなの数時間しっかり眠れれば、その後は、覚醒と浅い眠りをくりかえす、このような睡眠がベストだと。

この話を聞くことが無かったら、もっと睡眠障害に囚われ悩んだことだと思うが、仕方がないと割り切れていた。

そうは言いながら、2〜3時間しか眠れない日もあり、自律神経がおかしくなったのか、腹痛や下痢、回転系のめまいも起し、さらに以前苦しんだ喘息の呼吸困難にもみまわれ、新型コロナ真っ盛りの時に購入したパルスオキシメータで計ると、94%の表示が出る始末で、体調がガタガタになっている。

さすがに医者に相談し検査もしてもらったが、異常なしで医者曰く「もう、精神安定剤の世界じゃないですか」には頭を抱えてしまっている。

そんな状態なので、飲み会も減らさせてもらっているし、夜の飲み会がなかなか困難で、極力昼飲みに切り替えている。

年の瀬にこのような弱音を吐くことになってはいるが、健康数値上は健康を保ててはいる。感謝はしているし新しい年への希望も持てている。

京都徒然月日記と言いつつ、この月は全く京都が出ない、ぼやきとなってしまった。

繰り返すが、新幹線の車内の帯状の電光案内に「京都の観光は地下鉄で」の案内が表示されるくらい多くの内外の観光客が押し寄せている京都、当分オーバーツーリズムが続くのだろうが、新しい年には、引き続き、まだ見ぬ「ちょっとした趣きのある京都」を紹介できればと思う。

そして、今年一年の感謝と新しい年への希望と安寧を思うそんな京都から。

2023年11月

11月に入り、平年より高い気温とは言え、寒さが厳しさを増してきた。

新型コロナもまだ完全には収束しないまま、インフルエンザも広がっているという事なので、相変わらずマスクを付けたままの生活を続けている。

一方で繰り返しになるが、京都には多くの内外の観光客が押し寄せている。

この方々は、京都に住む人間よりもより詳しい京都の情報を知っているように思われるが、さすがに住んでいる地域、例えば伏見のこまごまとした情報は知らないとだろうと思っていた。

ところが、九州博多駅ビル内の書店で、一体京都以外で京都の情報はどんな感じで描かれているのかと、京都関連の雑誌に目を通していて驚いたことがあった。

伏見に関するページを見ていると、いつも通る伏見区役所の北側にある、大黒寺と金礼宮が紹介されていた。

よくもこんなところまで載せているものだと、改めて驚いた次第だ。

まさかと思って最近この2箇所を通ってみたが、いつものようにあまり観光客らしき人を見掛けることがなく、少し安心した。

そうはいっても、大手筋通りをはじめその南側の、寺田屋や大倉記念館、竜馬通り商店街辺りには多くの、しかもヨーロッパ系の観光客を見掛けている。

寒さが増してきたとはいえ、観光熱は一向に覚めることなく、オーバーツーリズムよろしく観光客が押し寄せる京都はいったいいつになったら、静寂が訪れるのだろうかと少し心配してしまった。

今年も終わりに近づきつつある中、短い秋が過ぎ去ろうとする寂しさも感じながらの京都の日々である。

2023年10月

暑い暑い夏の日々が、あっという間に秋風が吹いて、寒さに震えあがる日々に変わった。

10月に入った。

今回は京都の労働に関するハローワークについて、アルバイトの関係で京都市内のハローワークを訪れることになった。

南から伏見ハローワーク、現職を退いた後、簡単なアルバイトを探して、一度訪れたことがあった。

次が京都駅ビルの西側、京都駅ハローワーク、その北は烏丸御池のハローワーク、最後は西陣ハローワークとなる。

アルバイトで訪ねると、多くの人が職を求めて集まっていた。

これらのハローワークにはシニヤ向けの求人情報冊子がそれぞれ設置されている。

その冊子には、多くの求人情報が載っているが、シニヤ向けとは言え、こんなことも高齢者がするのかというような、肉体労働も含まれていて、驚いたりもしている。

シニヤの仕事で観光都市京都というものはなかなか見当たらない。なぜこう言うかというと、京都駅を初めとして、連日ものすごい観光客で埋めつくされ、ごった返している。

今京都は、観光客の洪水状態、オーバーツーリズムではないかと思う。

この状況の解決のため、少しでもリタイヤしたとは言え、シニヤの力を活用すべきではないのかと思ったところである。

コロナの最盛期の閑散とした京都の状況が良い訳ではないが、あまりにも多くの観光客も問題だと思われる。

季節の激変から、観光京都の憂いを思いながら、寒さが急激に増した京都の片隅から。

2023年9月

今年も9月になった。京都の話題を記載してきたが、今回は豊臣秀吉について

農民の身から天下人になった豊臣秀吉で、京都にも多大な影響を及ぼした人物で、今の市街地の基本が形成されたとも言われている。

近くの伏見城や、聚楽第の建設が有名だし、亡くなった後の豊国廟と豊国神社がある。

その中で、遠く60年近く前の小学生の時、遠足で訪れた九州肥前名護屋城跡が思い出され、8月に友人と訪れることがあった。

ものすごく大きな石垣だけが記憶の奥底にあったが、改めて訪れることになった。

お弁当を石垣に座り食べた記憶だけがどうした訳か、鮮明に残っていて、その場所を確認したくもあった。

実際に60年近くで訪れてみて、当時よりはるかに整備が進み、佐賀県立の博物館まで建っていた。


前の印象より緑に覆われているように感じたが、本丸の西側の石垣に上に立つと、ここでお弁当を食べたことが確認できた。

本当に懐かしく思い出されたが、今の世界情勢を思うと、他国に16万人もの兵力で侵略するという恐ろしい行為の規模の大きさに、驚きと悲しさを感じてしまった。


ロシアのウクライナ侵略、豊臣秀吉の朝鮮侵略、どちらの行為も他にやることはなかったのかと、独裁者の行為に恐怖を新たにした光景だった。

一刻も早く戦火が収まることを祈らずにはいられなかった。九州の思い出の地を訪れた思いを感じた京都から

2023年8月

連日38度超えの本当に暑い日が続いている。

しかし、京都の夏は今だけの特別なことではなく、とにかく毎年暑い。

こんな暑い日には歩けないので、アルバイトも休みがちである。

話は変わるが、今の京都は恐ろしいほど多くの観光客が押し寄せているにも関わらず、人口流失に歯止めがかからないなどという状況にあるらしい。

困ったものである。

さらにいえば、全国的にも空き家が問題になっているが、京都もその例外ではないらしく、壊れかけた家屋をどうするのかなかなか難しい問題のように思えるがどうなのだろうか、


そんな暑苦しく気の重い日々ではあるが、一方、市内周辺の寺社の庭はほっとするような鮮やかな緑の空間が広がり、まるで別世界である。

そして、京都には庭だけでなく、身近にも色々気持ちが涼やかになるような風景も多くあるのだろう。

1000年前は今ほど熱くはなかっただろうが、宮廷の女性は十二単をまとって夏を過ごしたとか。

暑さとさらに戦争などというものが起こっているという現実に、さらに苛立ちを感じてしまう日々である。

一日も早い平和を祈りながら、暑さの通り過ぎるのを待つ京都から。

2023年7月

7月になると暑さと大雨が一気に押し寄せてきた。

京都で7月というと、この月日記でも、たびたび祇園祭を話題にしてきたが、新型コロナも一般感染症になったこともあり、今年はコロナ以前の賑わいを見せていた祇園祭に戻るのだろう。嬉しいことである。

ところで、京都府は、人口10万人あたりの大学数が1.33校で日本1らしい。

京都市内には、多くの大学がある。国立では京都大学、京都教育大学、京都工芸繊維大学。

公立では京都府立大学、京都府立医科大学、京都市立芸術大学。

私立はさらに多い。立命館大学、同志社大学、同志社女子大学、龍谷大学、京都橘大学、京都女子大学、京都産業大学、佛教大学、大谷大学、花園大学、種智院大学、京都光華女子大学、京都薬科大学、京都ノートルダム女子大学、京都芸術大学、京都精華大学、京都外国大学、京都華頂大学、平安女学院大学、嵯峨美術大学、京都情報大学院大学、京都看護大学、京都美術工芸大学、京都先端科学大学がある。(順不同)

高校卒業前、自分はいったいどこの大学に行けるのだろうかと、期待と不安の楽しい思いの時期を過ごしていたが、卒業後、現役合格できた大学が無く、予備校の試験だけに合格するというちょっとした悲劇に見舞われたと思っていた。ところが4月、突然B型肝炎をそれも劇症というレベルの発病に襲われてしまった。

18歳の春である。

その瞬間に、普通の大学生活が霧のように消えて行ってしまった。

最近、アルバイトで、佛教大学の二条キャンパスに行く機会があった。センサーキーのセキュリティーに守られ、空調の整った室内、思わず「すごい」と思ってしまった。

自分は味わうことのなかった大学生活、そんなことが頭の中を駆け巡ったが、過ぎ去った幻をと、我に返って、久しぶりの祇園祭に思いを取り戻した。

そして、外はものすごく蒸し暑い、京都なのだと。

2023年6月

今年も早5ヶ月が経った。梅雨の季節到来。

月の初めに、こともあろうことか台風2号が日本に襲来、その影響で、今日本中に大雨・暴風警報が出され、新幹線が運休になるなど、交通機関が大きく乱れてしまった。

線状降水帯が至る所で発生し、外は大雨である。

地球温暖化のため、気候が荒々しくなっているように感じている。

これを止めるため世界中が頭を悩ませている中、ウクライナでは砲弾やミサイルが飛び交い、さらに温暖化に拍車をかけている有様に、怒りと共に呆れ果ててしまう状況である。

カノ国のカノ方の頭の中はいったいどうなっているのだろうか。

腹立たしい思いを抱きながら、梅雨にちなんで、「雨の京都」をインターネットで検索すると、水墨画のような嵐山・渡月橋、多くの寺社の青もみじ、そしてしとしとの雨音に包まれる庭園などの風景や、写経・座禅などで自分とじっくり向き合うなどという文章が出てきた。

梅雨の音としては、庭園の「ししおどし」の音もまた心落ち着けるものだとも思うがなかなか容易に聞くことはでいないようだ。

このようなことに思いを巡らしていると、少し「ほっ」とした気分になった。雨の京都も良いものだと思う。

だが、我に返ると、大雨の音、今年の夏も災害の少ないことを祈る次第だ。

2023年5月

すっかり温かくなってきた5月

以前、雉の写真をアップしたが、今回は、久しぶりに見た蛇。あまり気持ちの良いものではないのかもわからないが、駅から家までの農道で写真の蛇がいたのだった。

九州の島ではいつも見かけていたし、京都の今の居住地でもたまに見ていたが写真に撮るのは初めてだった。

京都の蛇。蛇は、調べると豊穣神、天候神。脱皮することで復活と再生を連想し、不老長寿や強い生命力の縁起の良い動物とのことだ。

日本の救急車や世界保健機構(WHO)などの医療機関で蛇が表示されていることも知った。

見た目の気持ち悪さとは裏腹に、人間の生活にとって有益な動物なのだろう。何かいいことがあればと思う。

そういえば、今月8日に新型コロナが感染症分類の2類から5類へと移行する。

3年ぶりに新型コロナが一般感染症となることになる。果たして、3年もの苦しい期間からの脱却が計れるのだろうか。

この状況をどう理解されているのかは定かではないが、前にも書いたように、京都駅には驚くほどの観光客が押し寄せていて、もはやオーバーツーリズムと呼ばれる状況に、京都は陥っているのではないかと思ってしまう。

そこに住む住民が、快適に生活することが難しくなっていて、観光客も思うような楽しさを味わえないように感じられる。

例えば、休日、京都駅周辺では、気軽にコーヒーを飲める店が無くなって、どの店も長蛇の列と、満員状態で観光客も住民もコーヒーすら飲めない状態だ。

新型コロナ以前に戻ることを多くの人が待ち望んでいたはずではあるが、急激な変化に対応できていないように思われる。

そんな騒がしさに包まれてしまった京都から、観光都市としての機能が十分に果たされることを願って、温かさに暑さも感じられる5月を思った。

2023年4月

温かさも増すと共に、桜の咲く華やかで明るい季節。4月がやってきた。

3月末には、野球のWBCで日本が14年ぶりに世界一を奪還して日本中が歓喜に包まれた。

新型コロナも落着き、京都には多くの観光客が訪れ始めていて、京都駅もものすごい人だかりである。特に大きなスーツケースの外国の方を多く見かける。

そして、これがいささか問題になっている。それは、この荷物をバスに乗せて観光をされていることで、バスでの利用を制限するような話もあるし、更には、混雑緩和のため、今年の9月末で市バス一日乗車券の発売が終了し、利用期限も来年の3月31日までとなった。このことは賛否両論ではあるが、超満員で大きな荷物の車内は大変で、乗れたものではないことも確かである。

アサヒビール大山崎山荘美術館

そんな中、京都府と大阪府の境で、天下分け目の天王山の戦いがあった、大山崎(京都府では大山崎、大阪府では山崎らしいが)を友人の歴史散策会で訪れた。

雨の日ではあったが、大山崎町歴史資料館では館長の方の、大山崎と明智光秀をはじめとする戦国武将との関わりや大山崎の歴史全般の説明を受けたりした。

昼食後、数班に分かれ、ボランティアガイドの案内で、大山崎町内の桜の広場公園や、平安京造営の時に使用された、瓦の製造を行った大山崎瓦窯跡公園を、さらに景色が豊かなアサヒビール大山崎山荘美術館と散策し、ボランティアガイドの方から説明を、お聞きし幾分時間をオーバーしながら、最後に離宮八幡宮へとたどり着くことが出来た。

丘の上からは、霧に煙る向かいの石清水八幡宮や、三川合流地八幡の背割り桜並木などが見渡せた。

雨とは言え、実に落ち着いた、ゆったりとした時間を、日本で一番戦乱に見舞われたとされる大山崎の地で味わうことができた。本当に贅沢なひと時だった。

東本願寺

京都駅前烏丸通り北の東本願寺では親鸞聖人生誕850年遠忌が行われている。さらに京都駅が混雑するのだろう。春真っ盛りの京都から。

2023年3月

3月は三寒四温なのだろう。汗をかく日があると思いきや寒さに震えあがる日もある。

そんな3月に入ったある日、アルバイトの関係で、二条城、八坂神社、錦市場を回ることがあった。

その時のガイド役の方の話。

二条城は徳川家の栄枯衰勢が決まっていった場所であること。本丸御殿の床下の「鴬張り」の構造を見ることができるところがあり、覗き込む学生がいること。二条城の門の、金色の金属を「きちょうめん」ということ等々。

八坂神社では、拝礼する時、賽銭を投げ入れ、鈴を思い切り鳴らし、「来ましたよ」とはっきり意思表示して、二礼二拍一礼し祈ること。境内の中にお肌に良い水が出ている神社あり、女性に人気でみんなが参拝していること。祇園社から八坂神社に変わったこと。そして当然だが祇園祭は八坂神社の祭礼であること。

京都の台所、錦市場では、絵師伊藤若冲が住んでいたこと。出汁巻卵の有名な店があったり、こんにゃくの石鹸の店があったり。最近は立ち食いが禁止されているが、多くの観光客がけっこう食べているようで悩ましい状況であること。

これらのことを、ガイドする中で面白おかしく説明されるとのことだった。

間もなく桜の季節を迎える京都、新型コロナもかなり落ち着きつつある中、3年以上に亘ったこのコロナの惨劇が何とか落ち着いてもらって、多くの観光客が戻ってくることを願わずにはいられない気持ちで一杯である。

核戦争の危機がまだくすぶるウクライナ侵略の一日も早い解決も祈るばかりだ。

新型コロナワクチンを接種したためなのか、昨年に引き続き今年も今のところ、花粉症も出ず、穏やかな日々である。

感染症からの脱出と世界平和を、春間際の京都から願いを込めて。

グルメメモ

四条大宮下ル 酒ダイニング酒破離

2023年2月

今年も1月が過ぎた。2月は節分などと毎年同じことを書き続けているが、1月の後半に大寒波が日本に襲来した。

京都は雪が少ないなどと言っていたが、1月24日の夜半からの大雪で、京都周辺でJRの列車が十数編成、線路上に立ち往生してしまい、十数時間乗客が列車内に閉じ込められてしまうということが起きてしまった。16人くらいの方が救急搬送されたらしい。

他の阪急、京阪、近鉄は何の支障も出さなかった。いったいJRはどうしてしまったのだろうか。

友人と会話で、旧国有鉄道ならこんなことは起こらなかったのではと、話が進んだ。どう考えられますか。

写真の雪の大文字も珍しいと思う。

一方、新型コロナは徐々に減少し、5月には2類から5類へ移行されるような状況だ。

また、一年になろうとするウクライナ戦争は、ウクライナの巻き返しは進んでいるが、まだまだ決定的とはなっていない。どうなるのだろうか。

京都の話題としては、市バスの700円の一日乗車券が今年で廃止になるとのこと。どうやらお得な乗車券で観光客が多く市バスを利用して、一般市民が乗車でいないためとか。非常に悩ましい問題だと思った。

新型コロナも3年が経過し、出口が見え始めているように、京都に観光客が集中し始めている。観光客対策が叫ばれ始め、ようやく観光都市京都が復活し始めている。このまま新型コロナが弱毒化し京都から、日本から、そして地球上から消え去ってもらうことを、節分祭に祈る京都から。

グルメメモ

三条京阪 ブリティッシュパブ ピッグ&ホイッスル京都店

2023年1月

新年、明けましておめでとうございます。2023年のお正月。

昨年末から感染者が20万人を超える、新型コロナの第8波が全国で続いている。

そして、寒さも例年になく厳しく、これも全国で大雪被害が報告されているし、遠くウクライナでは戦争も継続し、その影響からか、物価高も進んでいて、なかなか、新年を手放しで喜べる状況にはないところである。

一方、そうは言いながら、平和な日本にいる幸福には、感謝しなければと、新年に当たり、気持ちを新たにするところである。加えて、つたないこの原稿をじっくり考え、書けることにも喜びと共に感謝したい。

京都の正月の過ごし方を見てみると、全国津々浦々と同じように初詣から始まる。ただし、多くの有名な観光地を擁する京都には、お正月を京都で過ごす多くの観光客がおられる。

確かに、暮れからの京都駅では、人人人の大混雑が見られていた。

石清水八幡宮

初詣は言わずと知れた伏見稲荷や八坂神社、平安神宮、北野天満宮など。

正月は福袋が至る所で発売されるが、京都には四条烏丸の大丸、四条河原町の高島屋、藤井大丸、京都駅の伊勢丹などの百貨店があり、近郊にはイオンやヨドバシカメラ、上新電機などの量販店などもある。

その他では、和菓子の老舗などでも色々な福袋が売られていて、つかの間の正月気分を味わう時間である。

京都の中心部、上京・中京・下京などではどんな正月を過ごすのだろうか。

そういえば、中京区には御金神社なる神社があり、金属を奉る所が、その名前からかお金(おかね)に関わるとして、年末のジャンボ宝くじなど、金運の御利益にあやかろうと多くの方が、宝くじを持って参拝されている。

3年目になる新型コロナだが、今年こそは、「アマビエ」様の力をお借りして、収束させてほしいものである。

さらに、最近、時間の経つ速さに恐ろしさを感じている小生だが、11月に訪れた、近江聖人として知られる中江藤樹の、滋賀近江安曇川の記念館で、「当下一念」という言葉に出会った。

一刻一刻に命がけでという意味だそうだが、速さを増す日々を充実させる秘訣ではないかと思ったところだ。

近年になく、寒さの厳しさが感じられる日々ではあるが、健康第一で充実した一年になることを期待する京都から。

グルメメモ

京都府庁前 あんじ

2022年12月

あっという間に12月になってしまった。とにかく時の速さに驚愕する毎日である。

京都も師走の忙しさに包まれ始め、一年を振り返り、新しい年を迎える準備が始まっている。東寺の終い弘法や北野神社の終い天神などもある。

そんな12月ではあるが、今回は、京都の表玄関の京都駅について。

今から、52年前の1970年、14歳の3月、一人九州佐賀の武雄温泉から特急「かもめ」に乗り13時間近くをかけて京都にやってきた。5才くらいの時に京都に一度は訪れていたらしいが京都駅の記憶はなく、この夜初めての思いで京都駅に着いた。

迎えに来ていた父と合流し、近鉄(近畿日本鉄道)に乗り換えて伏見に向かったことを記憶している。

当時の京都駅は、3代目の駅舎で、烏丸通りの南の延長に7から8階の塔が建っていた。後にこの塔の存在が地下鉄工事に影響して、今の地下鉄京都駅が東側に曲がる原因となった。荷重の問題だったらしい。

1997年までの30年近く、この3代目駅舎を利用した。国鉄がJRに変わるなど大きな変化もあった。

烏丸側から八条口側には通路がなく、現在のように自由に通りぬけることが出来なかったし、烏丸側にも近鉄の券売機があり、JRの構内を通って近鉄に乗車するなどなかなか難しい駅だったように思う。

30年近く利用したこの3代目駅舎の思い出は、通勤に利用していなかったこともあり、旅行などでたびたび利用していたにも関わらずあまり多くない。

大学受験の時、駅舎の二階の雑炊の店を利用したこと、これはその後の受験の失敗とB型肝炎の発病などの不運により記憶が増幅されたためか。

現在の駅舎は、4代目である。この駅建設については、何をしていたかは別にして、かなり長期間その工事を身近で見ることが出来た。

駅の開業前に、大階段の上から駅を見下ろした記憶もある。

京都のビルには高さ制限があるため、東西に長い構造の駅になっている。

西に大階段があり、その上から東へ空中回廊が繋がり、東のJR京都グランビヤホテルへと続いている。いつ訪れても飽きない駅ビルである。

この駅の開業に伴う新しい百貨店の伊勢丹の進出などにより、繁華街の勢力図が河原町から京都駅に変わったようにも思う。

新型コロナでここ数年観光客が減っていた京都ではあるが、12月にかかる今、コロナ前のように多くの観光客が京都駅に溢れ返っている。

最初に京都に来た遠い昔の京都駅のことを思い出しながら、1年を振り返る12月、新しい年が2年を経て、新型コロナ禍から解放されるという希望を新たにしたいと思うところである。

駅が人の行き来を見送るように、月日が人の人生を見守っているようなそんな年末の京都から、来る年のご多幸をお祈りして。

グルメメモ

京都駅八条口 居酒屋みなみ

2022年11月

秋真っ盛りの11月、今回は京都の寺社仏閣の庭について。

先月、このホームページでも紹介している、元の職場の先輩や上司だった方々の6人で、島根県安来の足立美術館に行ってきた。

足立美術館に行ったことのあるのは私だけで、皆さん初めてだったが、その完成された美しさは圧巻であり、19年間日本一位とのことで、一同大いに感心したものだった。

しかし、そこは目の肥えた京都人、徐々に色々な意見が噴出しました。

まず、二位が桂離宮だったが、その選定をしているのはアメリカの団体だということ。

落ち葉一つなく、あまりにも人工的で完成されているのではないのか、などなど。

そして、転職して弁護士になった方が、「この庭には、怨霊は住んでいないな」と発言され、なるほどと私は感心した。

あくまで私の考え・思いでしかないのだが、古都京都の長い歴史の中で、血生臭い出来事も数多く起こったことだろう。

その歴史に裏打ちされた京都の寺社仏閣にある庭には、そんな善悪を併せ持った深い深いものが、目にすることがなく存在しているのではないかと思われる。

そういえば、京都東山には、「地獄の入り口、通り道」の井戸が庭にあると言われる、六道珍皇寺があったり、御釈迦様の千本釈迦堂あるかと思えば、すぐ側に千本閻魔堂があったりする。

インターネットで調べると、「京都魔界スポット」めぐりなども存在する。また妖怪にまつわる鵺(ぬえ)大明神なる神社もあった。

それら京都の寺社仏閣にある庭には、確かに怨霊が住み着いているのではないのだろうか。

さらには、上京区にある清明神社の、怨霊を収めるなどと言われる陰陽師の安倍清明が、平安時代京都で活躍している。

弁護士の彼の言葉にはそんなことが隠されているのではないかと、一人思いに耽った。

旅行でのことから、さらに京都の庭に思いを馳せる出来事だった。まだまだ「古都京都」の奥深さを私なりに確認していきたいと思うところである。

だんだん年を重ね身体も少しずつ動かなくなる中、70才を超えれば、多くの京都の寺社仏閣にある庭を一つずつ、巡ってみるのも一興かと思うところである。

それほど京都には多くの庭がある。

奥深い京都に思いを馳せる、秋11月である。

グルメメモ

洛西桂坂 レストラン赤鬼エビフライランチ

烏丸御池 綴

四条烏丸 和食酒采食房いち

2022年10月

早くも今年も10月になった。年を重ねると時間がどんどん速くなることは幾度となく述べてきたが、とにかく速いと思う。

今年はどんなことが起き、どんなことをしてきたのだろうか。

京都は、新型コロナ禍で感染者が減ってきたとは言え、まだまだ多くの感染者が出ているが、京都駅や多くの観光地にものすごい数の観光客が押しかけているように思う。

なんでもない駐車場の写真であるが、場所は金閣寺駐車場。30年くらい前に何をしていたかは別にして、数年間観光シーズンに1日の大半を過ごした場所である。

多くの観光客を眺めていた、あの時間。変わらず多くの観光客が来ていて、30年もの月日がたったとは思えない同じ光景を、久しぶりに目の前で見ることが出来た。

一つ一つの光景には、少しの違いがあるのだろうが、その違いをはっきり見極めることはできない。同じ光景が続いているように感じる。

年老いた自分がそこにいるが、周りはほとんど変化が分からない、不思議な感じだ。

10月22日は3年ぶりの時代祭が開催される。

平安建都1100年記念に、東京へ首都が変わり、京都が衰退しないようにとの思いで始められたように聞いているが、各時代の衣装に身を包んだ行列が、御所を出て、烏丸通りを御池まで南下し、御池通りを東へ、さらに三条大橋から三条通りを東進し、神宮道から平安神宮へと入っていく道中である。

1100年にわたって君臨していた天皇が、東京に遷り、「別れ」という喪失感に包まれた京都人は、自らの思いをこの祭りで吹き飛ばし、京都人の心をさらに飛翔させたのではないのか。

そんな思いを抱きながら、この時代祭を眺めるのはいかがであろう。

天気に恵まれ、清々し秋に祭りの成功を祈ると共に、世界を覆う「新型コロナ」や「ウクライナの苦悩」がキッパリと消え失せることも併せて願うところである。

涼しさが舞い始めた京都から。

グルメメモ

京都駅 レストラン大将軍

2022年9月

9月になった。一向に涼しくならないが、新型コロナは膠着状態ながらも少しずつ減少しているように思われる。

京都駅では修学旅行生をはじめとしたマスク姿の多くの観光客を見ることが出来る。

8月の後半だが、鴨川の床で食事をすることがあった。現職の時数回経験をしていたが、仕事の延長でもあったので、床での食事は記憶にある程度でハッキリしていなかった。

この蒸し暑い中、外で食事はとあまり期待せず暑さばかりを気にしていたが、いざ、東華采館の床で少しお酒もいただきながら宴会が進んだ。

すると、あまり汗もかかずに会が進むにつれ、京都というか京都人の知恵に少し感心した。不快極まりない蒸し暑い京都の夏、このような避暑の方法があったのかと改めて思い直したところである。

鴨川納涼床からの南座

9月は防災の月、最近も強い台風が九州をかすめて行ったが、今年も災害が少ないことを祈らずにはいられない。京都はその長い歴史において、気象や災害の記録も多いと聞いている。知らない記録があるのだろうか。

アルバイトでは相も変わらず京都市内を歩き回っているが、京都を訪れる観光客の方にも色々おられて、初めての方は、それこそ有名な寺社仏閣を時間の限り回ろうとされるようだ。

少しずつ京都観光に回数を重ねられ、慣れてこられると、言葉が悪いかもわからないが、深みにはまられ、京都検定でも受験されるかのように京都に関する情報を収集されるのではないだろうか。当然私よりはるかに多くのことを知る方がたくさんおられると思う。

ここ2年ほど、アルバイトで市内中を歩き回って、少しは伏見以外も分かったのではと思っても、そもそも伏見自体をそんなに知っていたわけではないのでなんとも言えないが、大いに京都を改めて知る機会には恵まれたと感謝している。

防災に気をかけながら、少しずつ秋めく季節を楽しみたいと思う京都から。

グルメメモ

京都駅 スーパードライ

2022年8月

猛暑の京都から、暑中お見舞い申し上げます。暑いですのでご自愛を。

ところが、まったくの私事でしたが、暑さも吹っ飛ぶようなとんでもない(私は心配性でおおげさなところがある。それをお笑いいただきながらお読みいただければと思う。)ことがあった。

それは、7月末、毎年肝臓の状態を確かめるため受けている腹部MRIを受診した後のある朝、地下鉄北大路駅からアルバイトに向かう途中で、係りつけのお医者さんから電話がかかり、すぐに診察に来るように言われ、どこが引っ掛かったのか、まさか肝臓ではなく、より悪質なすい臓だったらなどと考えながら、アルバイトを休み、家に戻った。

帰って、病院に受診すると、こともあろうか、すい臓に膨らみがあるとのことで、すぐに2種類の腫瘍マーカーの血液検査を受けた。

肝臓病の知識は、少しはあったが、すい臓の知識は全くなかった。

その夜は、インターネットで、すい臓について調べ、悪い情報ばかりが目につき、ほとんど恐ろしさのあまり、睡眠を取ることが出来なかった。

翌日、病院にまだ検査結果は出てないと思いながら電話すると異状なしとのことで、このことで単純に大丈夫なのではないのかと少しは安心したものの、1週間後腹部MRIを受けた深草の国立医療センターに再受診しなければならなくなった。

一週間後、「腫瘍マーカーは異状なしなので、大丈夫です」などと言ってもらえるのではと頭の隅に置きながら受診すると、「5mmの何かがあります。小さいので腫瘍マーカーが反応しないこともありますから、詳しく調べましょう」とのことで、血液検査と造影剤CTをすることになった。

又一から、(よく考えてみれば、当たり前のことをかってに楽観していた)あのイライラ(大丈夫いうことと悪い結果の間を行ったり来たりする気持ちの動揺)がまた続く葛藤を抱えこんでしまった。

検査結果特に、重い病気の検査の結果待ちは、インターネットで調べると、心療内科に受診される方もあるとか、大きなストレスであると思う。何とか心静かにできないかと思ってしまう。気にされない方もおられるのでしょうが。どう対処したらいいのか、御教示いただきたいものだ。

検査結果を聞く日、自分でも血圧が上がっているのがわかり、手に汗をにじませ、いざ医師との面談をすると、「がんではありません」とのこと医師のパソコンにそう記載されているところを何度も見せてもらった。

膨らみについては、定期的に血液検査と造影剤CTで経過検査をすることで、2週間にわたる緊張感から解放されることとなった。

このことをお読みになった方で、大袈裟で気の弱い人間だと思われる方もあるだろうし、私と同じようにハラハライライラされる方もおられるだろう。

その受け取り方は、それぞれだろうが、年齢を重ねるに従いこのような経験が増えてくるのだろう。悲しいことだ。

ただし、私がB型肝炎の支援活動に参加し、年に1度は腹部MRIなどの精密検査を受けることを勧められなければほったらかしで悪くなっていても分からなかったことは間違いないことだと思う。

暑い夏の真っ盛り、雷雨や洪水が全国を襲い始めたが、間もなく盂蘭盆会や五山の送り火を迎える京都。過去最高の感染者を出している新型コロナ、膠着したウクライナ侵攻など大きな問題があるにもかかわらず、全く自分自身を見失ってしまった時間を過ごしてしまった。

心穏やかな日々を自分の努力で取り戻さなければと思う、猛烈に暑い京都から。

グルメメモ

四条河原町鴨川 東華采館

2022年7月

6月末から、猛暑が始まってしまった。暑い!

アルバイトで、6月末、伏見稲荷から三十三間堂まで歩いてしまったが、頭が少しボーとしてしまった。

そして、ここに来て減少傾向だった新型コロナ感染者が徐々に増え始めてきた。何とも悩ましい状況である。

そのような中、京都市内中、多くの観光客、特に修学旅行の学生を多く見かける。マスクが無ければコロナ前と同じ光景だが、まだそこまでではなく、伏見稲荷や京都駅にはマスクの学生で溢れている。

疫病封じの神事である祇園祭、今年は山鉾巡行を含め3年ぶりに開催されることになった。今回こそ祇園祭の囃子の音色、山鉾巡行を含めすべてを尽くして、新型コロナを完全に払い除け、世界の混迷もまとめて吹き飛ばし、勝利宣言したいものだと心から願うところである。

今年の祇園祭は、7月1日にスタートし、2日に京都市役所でくじ取り式が行われ、10日から14日に前祭りの山鉾建てが、14日から16日に前祭りの宵山、17日前祭りの山鉾巡行、神幸祭神輿渡御。

18日から21日に後祭りの山鉾建てが行われ、21日から23日に後祭りの宵山、24日に後祭りの山鉾巡行、還幸祭神輿渡御などがそれぞれ31日まで行われる。

新型コロナが3年目に入り、2月からロシアのウクライナ侵略も加わり、国内では久しぶりの物価高が迫るなど、悩ましい状況ではあるが、何とか平穏な日々が送れていることに最大限の感謝を捧げたい。

少々の不都合不便など吹き飛ばして、暑い京都の7月を、3年ぶりの祇園祭と共に大いに楽しみたいと思う。

とはいってもやはり暑い、京都のこの暑さは本当に何とかならないのだろうか。50年以上の月日京都に在住の中、全くなれることが出来ず、ぶつぶつ愚痴の絶えない日々が続く京都から。

グルメメモ

四条大宮 居酒屋ふる里

2022年6月

つい最近正月だったと思っていたのに、もう6月になってしまった。

1年の長さが、例えば15歳なら15分の1なのに、66歳だと66分の1なので相対的に短くなるのは理解できるが、それにしても時の過ぎる速度が加速度的に早まっている。何とかならないないだろうか。

先月5月に友人のドイツ在住の娘さんと、友人のZOOMを通して久しぶりに話をすることがあった。こちらがウクライナ情勢に心配を示しても、「ドイツはまだ大丈夫」とのことに安心はするものの、やはり遠くの異国でしかも侵略戦争が直近なことに心配を感じてしまった。

6月の京都は、蒸し暑さが増す時期という事は何度も書いたが、いよいよその蒸し暑さに巻き込まれる時期になった。

新型コロナ流行前、海外からの観光客をはじめ多くの方々が京都を訪れていた。その多くの観光客を受け入れるため、市内には多くのホテルが建設され続けていたが、ここ2年ホテルの空きが目立つことになった。

ようやく、ここに来て、多くの修学旅行生をはじめとする観光客が全国から来京・入洛するようになってきた。観光都市京都の復活なのかと、期待が広がってきた。

アルバイト先の観光担当者の方も、中学生の修学旅行生の対応に市内の観光地を巡る日々が戻ってきたとのことだ。

アルバイトで老舗の旅館やホテルを回っている。老舗の旅館と言えば、「柊家旅館」や「炭屋旅館」は玄関先まで入ることがあったが、狭くなんという事のない「しつらえ」ながら、全く表現しづらい独特の雰囲気を醸し出し、対応して頂いた方の「所作」の優雅さみたいなものに感心したことを思い出す。

新しいたくさんのホテルも、それぞれに京都の「おもむき」を取り入れた「しつらえ」を設けている

これもどこかで記したかもしれないが、着物姿の観光客を見ることが多くなっている。そして祇園で舞妓さんを見ることもある。華やかでたのしい光景ではあるが、その違いは「所作」を一目見てわかる気がする。

ようやく「古都京都」を感じることができる新型コロナの感染の減少傾向に感謝の気持ちでいっぱいで、このまま静かに終息することを願うばかりだ。

京都の「おもむき」に思いを馳せることができる幸せは、ありがたいが、これからの「蒸し暑さ」への重苦しさには少し気持ちが萎える気もする。

健康の維持に気をかけながら、蒸し暑い京都の夏を楽しめたらと思う今日この頃である。

グルメメモ

五条烏丸西入 和食松粂(まつくめ)

特例 博多駅横 居酒屋 治作

特例 博多駅阪急地下 小浜ちゃんぽん

2022年5月

新緑の5月を迎えた。温かさが増し暑さへと変わる、その後京都は蒸し暑さが極めて強烈になる。

新型コロナだが、ワクチンや治療薬の開発、ウイルスその物の重症化の低下などにより、まだ収束とはいえないまでも観光を含め人々の活動範囲も広がってきているように思われる。

私事だが、3月のワクチン3回目の抗体量は、2回目接種時の2倍だということが、京大ips細胞研究所の治験よって分かっている。少しは安心していいのだと思う。

ゴールデンウィーク以降、多くの観光客や修学旅行生が京都を訪れ、観光地京都の装いを取り戻していくのだろう。今日の京都駅の人出の多さには驚かされた。

このようにして少しずつ新型コロナウイルスが衰えていき、劇的ではなくやがて消えていくことを望みたい。

今月の京都のメイン行事は葵祭だが、新型コロナの影響で、今年も3年続けて行列の巡行は中止とのことで、祭りの中の「社頭の儀」のみが5月15日に行われることになっている。

この社頭の儀の内容について、書物のとおり記してみると、「天皇の勅使が内蔵使から祭文と宣命を受取って奏上し、幣物を奉納する。神職は祭文・幣物を受取って神前に献じ、神宣・返祝詞を返す。」となるが、何ともややこしく、個人的にはさっぱり理解不能である。

これも古都京都らしく、趣があるのだろう。

祭りに関係する神社は、下賀茂神社(賀茂御祖神社 かもみおやじんじゃ)、上賀茂神社(賀茂別雷神社 かもわけいかづちじんじゃ)。

また、この季節の食べ物では「筍」だろう。京都の西、洛西や長岡京市には竹林が多く、筍の生産も多い。その延長で、筍を使った京料理が多くの和食店で振る舞われる。

筍専門店では、長岡京市の長岡天満宮の横、「錦水亭」などである。(私はこの店を見たことはあるが、入店はなし)

新型コロナやウクライナ侵略など、心乱されることが多い昨今だが、こんな風に観光や京料理について、記すことができる幸せに感謝したい。

そして気温の上昇と蒸し暑さの増加を感じながら、古都京都の季節が夏へと向かっていく。健康に気をつけて過ごしたい、皆さんもご自愛を。

グルメメモ

京都駅 焼肉大将軍ランチ

四条烏丸 サイゼリヤランチ

2022年4月

ワクチン接種は3回目も済み、コロナの感染者も徐々に減少してきた。少し感染症に対する恐怖感は薄れつつある。

さらに、どうしたことか花粉症が今年は全く出ずに3月を過ごすことが出来た。数十年ぶりのことで驚いている。

4月は新しい年度を迎え、気持ちを新たに前へ進む月なのだろう。

そして当然、京都は観光客も少しずつ増え、春爛漫を満喫する季節ではあるのだが、ロシアのウクライナ侵略は1ヶ月を過ぎ、益々緊張感が増幅してきている。世界中全く先が見通せない状況である。

それでも季節は、人間の浅ましい所業などお構いなしに過ぎていく。

京都は今、桜が満開である。桜の花の美しさに一瞬ではあるが、世界を覆う悲しみや重苦しさを忘れ去ることが出来たりもしている。(京都は至る所で桜を楽しめる。例えば円山公園の枝垂桜、嵐山、平野神社、哲学の道、御室仁和寺、南禅寺、岡崎公園など)

ウクライナの惨事はどうしてこのように突然起きてしまったのだろうか。色々なことを想定し、備えてはいるはずなのだと思うが、一日も早い平和を祈るばかりである。

平和な京都の状況を伝えたいと思ってはみるものの、連日報道されるウクライナの惨劇を見るにつけ、核兵器のこともあり意欲が薄れてしまう。どうにかならないのか、多くの国が様々な支援を行っているが、日に日に増え続ける犠牲者の増加の報道に、精神の安定を図ることが難しくなっているのは、私だけではないように思える。

市井の一人の人間に何ができるのか。支援の募金をするなどを通して、できることを細々とやることしかできないのだろう。何もできない自分の無力さを思い知らされたりしている。とにかく気が滅入る春になってしまった。春の温かさが増す中、この気だるさは何なのだろうか。

春を楽しむ気分になれない中、日本の安全も果たして継続できるのか心配にもなってしまう。

いや、こんなことばかり考えても仕方がないし、平和な生活が出来ている幸せをしっかり自覚し、少しでも支援をすること。そして、心から世界平和を祈ることがいま求められていると思う。平和を維持するため一人一人がしっかり取り組むことの上に初めて平和は勝ち取れるものだと思う。

繰り返しになるが、ウクライナの一日も早い平和の訪れを祈るばかりである。

憂いが消え、観光都市京都の細やかな情報を、来る月には、楽しく書ければと思いつつ、桜舞い散る京都の片隅から、なんともやるせない春に心乱れる日々である。

グルメメモ

西陣織会館横 喫茶店ランチ

京都駅 小川コーヒー店ランチ

京都駅 焼肉大将軍ランチ

西院 サイゼリヤランチ

四条大宮 焼肉大将軍ランチ

2022年3月

少しずつ温かさが増してきた、春3月 私の予想は悪い方に、そして一般の予想通り、コロナ感染は感染者減ってはいるものの、エンデミックに程遠いパンデミックが続いている。予想は根拠のない妄想で、完全に外れてしまった。いったいこれからどうなるのだろうか。

蔓延防止措置は2月を通り越して、3月21日まで延長になっている。

昨年も記したように3月は別れの月のように思うが、草木の芽吹きが始めるこの時期、新しい時を迎える準備というか、新しい何かが始まる前の古いものへの執着の思いを一身にまとうような一種のもの悲しさを感じてしまう。

その中で、2月末から、世界ではロシアのウクライナへの侵攻、そして核兵器に関する発言が出るなどという大変な状況が起こってしまった。

個人として、この侵攻は、為政者のためだけの理由で、多くの人民の命が失われているように思え、怒りが込み上げてくる。

京都に居て、どこか別の世界のことのようだが、実はウクライナのキエフと京都は昭和46年(1971年)から「姉妹都市」なのである。同じ歴史都市としての共通性を持っている。

そう言えば、京都でどれだけの戦争・戦闘が行われたのだろうか。

京都人が「先の戦」と言えば太平洋戦争ではなく「応仁の乱」という話を嘘のようにするらしい。主に西陣の人らしいが本当なのだろうか。

京都の地下を掘ると、黒い層が見えて、それが戦争の跡らしく、近くで言えば、明治維新の「蛤御門の変」の跡とか。

思うに、京都人は長い歴史で多くの戦火や被征服を経験しながらも脈々と忍耐強く生き続けてきたという信念というか気質を持っているように感じる。

歴史都市としてこのような辛く厳しい過去を持つのは仕方がないのだろうが、同じく長い歴史の町キエフとウクライナ人の強さが又しても試されているのではないだろうか。

静かで美しい町が、兵器によって蹂躙される光景は、悲しみと憤りを感じる。大げさではなくこの悲惨な戦争が、核兵器の話題に及ぶことなく、全世界の人の力で一日も早く収まることを願わずにはいられない思いである。

キエフの方、そしてウクライナの方への哀悼とさらに世界平和を願う多くの方との団結を捧げたい。

温かさが増し、華やかになりつつある春の京都から、戦火のキエフへの思い。

グルメメモ

熊野神社 からふね屋ランチ

西院 サイゼリヤランチ

烏丸丸太町 MAEDA,S COFFEEランチ

2022年2月

2月は恵方巻きを食べ、疫病退散を祈る行事の節分のある月である。今年はどんな節分かと思うが、今の日本はというと1日に80000人近くのコロナ・オミクロン感染者が発生し、社会のあらゆるところで混乱が生じている。

正に第6波の大波に飲まれてしまっている。悪い方の予測が大当たりしてしまった。

この状況を本当に誰一人として想定できなかったのだろうか。諸外国はこの状況が1ヶ月先行していたように思うのだが、日本で医療逼迫、保育所の相次ぐ休園など、社会活動に支障をきたすこの状況を誰も想定できなかったのか・・・。

誰かを批判するだけでは済まされない。再度、一人一人が心して感染防止に取り組むほかない。

そして、医療関係者、最近言われるエッセンシャルワーカーの方々に再度感謝とエールを送りたい。

今年の2月は、例年より寒いように思うが、50年以前に京都に引っ越してきた当時の寒さに比べると特段に温かくなったように思うのは私一人なのだろうか。

雪が多かった訳ではなく、とにかく底冷えがし、道路がたびたび氷ついたりした。寒さの実感は、中学・高校時代ではなく、働きながらの夜間大学の時の寒さが深い記憶として残っている。

夜、御所の横、広小路の大学の授業を終え、京阪電車で帰り、家の近くの橋を渡っていたが、よく凍結していたことを思い出した。病気を抱えた辛い冬の日々で今思うとよく4年間も続けられたものだと思う。若かったのだろう。

アルバイトの一環で、節分で有名な壬生寺を訪ねたが、節分前であり、またコロナ禍ということで全く人気が無かった。

今月中には、もう一つの吉田神社にも行こうと思ってはいるが、1月27日からまた「まん延防止措置」が京都に出され、アルバイトも何度目かわからなくなったが休止となった。予定どおりに20日に解除されれば、行くことになると思う。今年の節分の恵方巻きの方角は、北北西らしい。

よくよく京都の2月の行事を調べてみると、壬生寺、吉田神社だけではなく、鞍馬寺、八坂神社、伏見稲荷、天龍寺など京都中いたるところで節分祭は行われるらしい。また涅槃会も知恩院などで催されるとのこと、恥ずかしながら全く知らなかった。新しい発見である???

いずれにしろ、今年も京都中の、いや全国の神社仏閣でこのコロナ禍に対する疫病退散祈願が行われ、一日も早い収束を願うところである。

今の専門家や国のコロナに対する見解・対応を見るにつけ、神仏に縋る方がまだ解決は早いのではないかとさえ思えてしまうのは私だけなのだろうか。

最近、このHPにアップした「私のコロナ騒動記」ではないが、今月中にエンデッミクに向かうという予測は妄想なのだろうか、細やかな希望として記したい。

働き盛りの年代の方のご苦労に思いを馳せながら、高齢者として感染に注意し、家で暑い鍋料理などを静かに味わったり、写真のようなコーヒーでも飲んで、閑散とし底冷えのする京都から事態が収まるのを願う日々である。

グルメメモ

伏見 鳥聖(焼き鳥 テイクアウト)

伏見 王将

2022年1月

明けましておめでとうございます。2022年のお正月です。コロナはオミクロン株という新たな段階に入りました。とにかく一人一人が地道な予防策を講じこの感染症に立ち向かいましょう。そして、改めて医療の最前線でコロナと戦っておられる医療関係者に感謝とエールを送ります。

正月と言えば、23年前その当時まだ拝観が出来た伏見桃山城の天守閣から初日の出を見たことを思い出した。

日の出時間を間違え、1時間以上も真っ暗な中、お城の下で待ってようやく天守閣に登り、他に数人の人がいたが、ほぼ独り占めの初日の出をめでることができた。

当時は年齢も40代初めで、仕事も山場を迎えようとする時期で、不安よりも期待をみなぎらせていたように思う。

この間の23年で、良かったこと不運だったことなど色々のことがあり、2022年を迎えている。

日の出の回数だと約8400回が過ぎたことになる。なんと長い時間だろう

また、平穏な年末年始は当たり前のようだが、これも思い出したことで、十数年前になるが大晦日の夕刻滋賀の叔母の介護の時期、叔母の家の隣の方から、叔母の家の「壁が落ちた」との連絡が入り、大慌ての年越しになってしまった。

お隣に色々お骨折りをしてもらったり、成年後見の弁護士に電話したりと、行くに行けず冷や汗をかきまくった思い出である。

暮れから新年にかけて、京都駅に行ってみたが、観光客を初めとする多くの人を目にした。ようやく京都に観光客が戻ろうとしているが、これからコロナの第6波は来るのだろうか、心配は尽きない。

初詣は、昨年は行かずじまいだったが、今年は元旦の喧騒を避けながら、正月三が日で何とか行こうと思っている。場所はいつもの年のように、京都府八幡市の石清水八幡宮への初詣

今、外は小雪が舞っている。この時期らしいと言えばそうなのだが、京都に雪が降ることは珍しいし、例えば雪の金閣寺は素晴らしいがTVや写真でしか見たことがなく、冬の京都観光が通の方のお好みだという話を聞いたことがある。

コロナ過で京都観光も下火だったが、例年にない京都への観光客が底冷えのする中増えているのも珍しいことのように思われる。

今年こそは、多くの京都の寺社仏閣を初め、全国でコロナ退散を祈願してもらい、収束を迎えたいものだ。

再度気を引き締めて、正月を楽しみたい。底冷えの京都から

グルメメモ

京都産業センター1F nana,s green tea 四条室町店

西院 サイゼリヤ西院店

桂川イオン フードコート一風堂ラーメン

三条河原町 ビアホール スーパードライ

伏見大手筋 餃子の王将

2021年12月

年や季節など時間の加速度が増しつつあるが、今年も早、12月となった。

今年はコロナ第5波の中、57年ぶりの東京オリンピックが開催されたりしたが、結局コロナコロナの一年になってしまった。数か月間感染者が減少し、少し安定したかと思われたが、南アフリカで変異の最も激しいオミクロン株が発見され、また緊張の日々に逆戻りしてしまった。これからどうなっていくのだろうか。

そうは言っても、年の瀬は宴会シーズン、京都の飲み会の場所は色々ある。祇園、四条烏丸、河原町、木屋町、そして先斗町

現職時代多くの場所で忘年会を経験した。一番多かったのはやはり京懐石か。美濃吉、木乃婦、泉仙

中華では四条大橋の東華菜館。100年くらい前の、建築家ウ”ォーリズの建築物で味わう中華料理店で、四条大橋のランドマーク

アサヒビヤホールなどのビヤホール、御所の西のブライトンホテルの洋食のホテルを使った宴会など、様々な料理を楽しめる。

本来の年の瀬の京都では、クリスマスから年末、市内特に洛中で楽しく食事を楽しめるものである。

観光客も戻りつつある中、今年の年の瀬は、どんな状況なのだろうか。

10月からアルバイトも再開し、相変わらず市内を色々歩き回っている。嵐山方面の天龍寺、清凉寺、大覚寺、二尊院、鹿王院、北区の大徳寺、千本釈迦堂、えんま堂、建勲神社など、こんなふうに京都市内を回れることに感謝を感じながらのアルバイトである。

そうは言いながら1年1年、年を重ねてくると、一休禅師の「正月は冥途の道の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」の正月が近づき、妙にしんみりしてしまうのは、歳のせいなのか。

いかに、容赦ない時の経過に左右されることなく、豊かな気持ちを持ち続け、千年の都、京都の時間を楽しみながら生活していくのかを思いながら、健康に注意して新しい年を、希望をもって迎えたいと思う、師走の日々である。

来る年こそ、2年以上になろうとする新型コロナ禍をなんとか克服する年になればと願うばかりである。

グルメメモ

三条河原町 ビアホール スーパードライ

烏丸御池 BEERPUB TAKUMIYA

2021年11月

秋真っ只中の11月、コロナが大幅に減少し、ほんの少し以前の生活を思い出しながら取戻しつつある京都の今日この頃。

アルバイトの京都歩きでは、この歳にして初めて、茶の湯の聖地、表千家不審庵、裏千家今日庵などを訪れることが出来た。

裏千家今日庵

また、源氏物語の紫式部の墓所も近くにあり、寄ることなしに通り過ぎたが、その時恥ずかしながら紫式部という植物の存在も初めて知ることになった。

紫式部

今年は、京都の紅葉の名勝に多くの人が訪れ、活気が戻ってきているのだろうか。

これらの名所を見るために多くの観光客が京都を訪れるが、京都市内の交通機関を見てみると

旧国鉄(現在のJR)では、新幹線 大阪神戸からのJR京都線(旧東海道線)、亀岡福知山からのJR嵯峨野線(旧山陰線)、滋賀岐阜からのJR琵琶湖線(旧東海道)、北陸からのJR湖西線、そして奈良からJR奈良線が京都駅に集中している。

私鉄では、近鉄京都線 阪急京都線 阪急嵐山線 京阪本線 京阪宇治線 京阪大津線 京福嵐山線 京阪比叡山線などが市内に乗り入れている。

市内には、京都市営地下鉄烏丸線・東西線が十字に配され、それを多くの路面交通である市営バス 京阪バス 京都バス 阪急バス等が結んでいる。さらには、MKタクシーをはじめとする各社のタクシー等が多くの市民・観光客を運んでいる。

聞いた話だが、秋観光の最盛期には、市内で驚くような交通渋滞が発生し、北大路から京都駅間のバスがたどり着くのに数時間を要し、歩くより時間がかかってしまうことが多発するとのことだ。

観光都市京都の抱える大きな問題になっているが、コロナ禍の最近ではないことかもわからない。

マイカーでの観光は、京都特有の交通渋滞に捕まって目的地に着けず、着いても駐車場がないという思わぬ落とし穴があるので、ご注意願いたい。

10月末には衆議院議員総選挙が行われ、自民党が議席を減らすも過半数を確保し政権を維持することになった。

これからどんな社会が待っているのだろうかと、数年に一度の政治ショーに興味を覚えたが、良い方向に変化は見られるのだろうか

話は新型コロナに戻るが、感染者数も全国で300人を下回る状況が続いている。このまま第6波がくること無しに進んでくれたらといのるばかりである。

温かい秋がこれも続いている。この秋は観光客が戻るのではと期待が持てる京都から。

グルメメモ

先斗町 焼肉だん炉

熊野神社(東山丸太町) からふね屋コーヒー店ランチ

木屋町 にぎり五右衛門

伏見 大手筋 饂の神

2021年10月

早いものでこのつたない月日記も、たわいのないことを書き連ね1年が経ってしまった。コロナはこの一年何度かの大小の波を経験したが一向に収まる兆しがない。これからどうなるのだろうかと2年近く不安の日々が続いている。

観光京都も相も変わらず、観光客が増えたり減ったりというところか。

九州に在住の時、今はいない京都の叔父から、たまに京都土産のお菓子の八橋が届いていたことを思い出した。

皆さんもよくご存じだと思うが、シナモンの味がする固い曲がった板状のお菓子で、あまり甘くもなく子供の私にはそんなにおいしいものではなかった記憶がある。

京都に来てからも、京都のお土産と言えば、八橋という意識がさらにはっきりはした。今その八橋に関して、老舗・元祖が法廷でどちらなのかが争われる事態になっている、余談だが。

長く京都に住んでしまうと、その八橋が徐々にお土産そのものではなくなって生活の中の日用品になった気がする。

それは他の土産もそうで、京都にはありとあらゆる多くのものがある。菓子などの食材、着物、履物、扇子、うちわ、和装の小物などなど、伝統に裏付けされた多くの物産があるが、京都に居ればやはり前述のように日用品になってしまう。

「阿闍梨餅」や「おたべ」、「千寿せんべい」などのお菓子は土産だが、家庭用として楽しんでいる。

特別な気がするのは、漬物で、家庭用にしているが土産としてもかなりの種類がある。漬物の土産は、今は全国に広がっているが、老舗で有名なのは「大安の千枚漬」などの京都のものではないかと思う。

土産そのものに長い伝統や「いわれ」があるように思う。京都検定を勉強するつもりはないものの、少しでも知識は広げていって日常生活で楽しみたいと思う。

土産について、たわいもないことを綴ったが、コロナが早く収まり、京都の多くの土産・物産がまた全国のご家庭に溢れることを願う次第だ。

国政では、384日間の菅内閣が、コロナ対策、オリパラ開催などを経て、岸田内閣へと移行した。

今月の時代祭は今年も中止だし、9月に入って徐々に感染者が減り始め、月末には緊急事態宣言が、菅内閣の最後に解除された。このまま感染者の減少が進むことを祈るばかりである。

それに伴い、今月から2ケ月ぶりに市内北部中心にアルバイトで歩き回る日々が戻ってきた。

嵐山周辺、北山周辺、東の左京区など、観光ではないにもかかわらず、アルバイトなのに「どこに行こうか」と観光地ばかりに気持ちが行ってしまう、観光シーズン到来の10月の京都から。

グルメメモ

友人N氏 伏見 そば処玄太

東山清水道 鐘園亭中華ランチ

元職場8人会 四条大橋 東華采館

同志社大学 学食ランチ

元職場5人会 京都駅ビル京都劇場横 そば徳兵衛

2021年9月

9月は涼しさが増してきて心地よいはずが、この時期は以前、頻繁に喘息に悩まされた。今も少し発作が出ることがある。

喘息は遠い昔の福岡筑豊の田川で、炭鉱の粉じんや煙のせいなのか小児喘息でよく医者のお世話になっていた。

それが長崎松浦の飛島に引っ越すと、海の側と言うか小さな島なのでほぼ海の中で、喘息の発作が7年間止まっていた。

それから佐賀武雄に引っ越すと、秋口の9月に突然発作に見舞われ、毎週土曜日の中学の授業後直ぐに早退し伊万里の近くの桃川の病院に治療に通う羽目になってしまった。

京都伏見に引っ越した当初は、発作は収まっていたが、高校に入った秋口にまた発作に見舞われるようになってしまった。秋の喘息をかわしながらの桃山高校での生活を過ごした。

卒業後、B型肝炎で入院した年は、発作の記憶がないので何もなかったようだ。

B型肝炎の感染・闘病中のままで就職した当初、これも秋口に再び発作が起き、困ってしまった。

特に記憶がはっきりしているのが、外勤で京都御所の横の烏丸通りにいた時、突然息苦しさを感じ、側の蛤御門の側溝で身動きが出来なくなってしまったことがあった。

この喘息も歳を重ねるにつれて、徐々に気に掛けることがなくなってきた。今悩まされているアレルギーは花粉症。毎年3月が大変なことになる。

京都のこの時期の行事では、今特に印象に残るものはないが、リタイヤ後石清水八幡宮の祭り(勅祭 石清水祭)があることを知った。

勅祭とは、天皇陛下の勅使が直々の天皇からのお供え(幣帛 何と読むのか不明)を供えに参向される祭典で、葵祭の賀茂祭(下賀茂・上賀茂神社)と春日祭(奈良 春日大社)の三大勅祭の1つらしい。

祭りは、9月15日に行われるということで、以前、昼に石清水八幡宮に行くと、夜中午前2時からの夜祭(奇祭らしい)で、境内には神具などが並べられている光景しか見ることが出来なかった。どんな人、どれだけの人が参加されているのだろうか。

9月の京都の出来事を思い出すのは、今はこれくらいだが、過去50数回の9月を経験している訳で、まだまだ色々思い出すと思う。乞うご期待というところか。

この一か月は、お盆に九州を中心とした大雨に全国が見舞われ、コロナ禍は、これもオリンピック開催当初から全国で感染者が急拡大し、再び、何度目か数えることも苦しい、緊急事態宣言やまん延防止措置が8月20日から京都を初めとして多くの都道府県で、発出・継続されてしまった。

さらに妊婦の方の悲しい出来事などが発生する中、パラリンピックが開催されたが、自宅療養(一部では自宅放置などとも言われ始めた)者の急増に、「野戦病院」の設置が叫ばれるなど、昨年よりもさらに状況は悪化し、正に「災害列島」の様相を呈してきたように思う。

ワクチン接種が進めば、感染者数も減ってくるのかと期待していたが、この辺りが気の緩みなのか、また、変異株(デルタ株)のためか、若い世代の感染者が爆発的に増加し、ワクチン接種による集団免疫の獲得も厳しいとの見方も出てきてしまっている。

個人的には、京都大学ips細胞研究所の、ファイザー製ワクチン抗体の有効期間の確認治験にも参加しているが、9月当初の今の状況は、全国の感染者が累計で150万人を超え、重症者も2000人を超えてしまっている。

ワクチン接種の進捗で、少し見えかけていたように思えた光が消えかかっているような、重苦しい日々が続いている。これまでの人生で初めての、世界的なそして感染力が強烈な感染症に遭遇して、大変な経験をしているが、お互いに今一度気を引き締めて感染対策を継続し、そしてワクチン接種の拡大によって、一日も早くこの状況から脱することができればと願うところである。

グルメメモ

七条京阪横 利き酒サカタニ

2021年8月

季節も移ろい、8月を迎えた。

8月はお盆のお墓参りだが、九州から京都に来る前は、全くその意識がなかった。19才から働き出すとともに、祖母の死から伏見に墓所が決まり、家族で墓参りに行くようになった。

これも何をしていたかは別にして、東山五条俗に言う「五条坂」で8月15日を中心に仕事をしながら、西大谷祖廟に多くの墓参客が訪れる光景を目にした。

ある時、東京からの観光客に、「河井寛次郎記念館はどこですか」と尋ねられたことがあったが、

スマホなどない時代で、一瞬困惑し、「河井? わかりません」と、そっけなく答えてしまった。

後で調べると有名な陶芸家だという事がわかった。そしてさらに五条坂は、陶芸の清水焼の中心地であることにも気が付いた。

当たり前のことだが、自分も含め観光に行く時は、事前に色々調査するものだが、京都は日本屈指の観光地なのに、そこに住むがゆえに調べることをしない現実を知ることになった出来事だった。

また、16日は御先祖の霊を送る神事、大文字山を初めとする五山の送り火である。京都市内のいたるところで目にすることが出来るが、仕事で西大路金閣寺付近や出町柳辺りで多くの観光客とともに、夏の京都の夜空を焦がす炎を眺めたものだった。

今年もコロナ禍のため、昨年と同じで規模を縮小して実施されるとのこと。この炎の神事が終わると、京都は秋へと季節が進んでいく。

そして、今年は1964年以来57年ぶりに東京オリンピックが、選手村での海外選手などの感染が増えつつある中、そして賛否両論の中、先月23日から開催された。

連日日本選手団の大活躍が続き、感染者の増加にも関わらず、人々から新型コロナの恐怖感が薄らいで行っているように思われる。

新型コロナについては、何とか先月にワクチン2回接種を終えることが出来た。今のところ副反応も出ていない。ありがたいことだと感謝する。

それに連れて、知人との宴会のお誘いやお茶会などが徐々に再開し始め、解放感も出始めてはいるが、家族を初め、ワクチンの接種が一旦ペースダウンしていることもあり、7月末には東京で4000人超、全国で12000人を超える感染者が発生し、全く先の見通しが立たない状況に陥りつつある。

何とか感染者の増加を抑え、ワクチン接種を希望するより多くの人が一日も早く接種を完了し、2年近く地球を覆い尽くした新型コロナ禍から、解放されることを願う次第だ。

グルメメモ

烏丸御池 京都文化博物館内 MAEDACOFFEE

市役所前 ゼスト御池 ホーリズカフェ

四条大宮 コメダ珈琲店

2021年7月

今年も7月になった。

コロナ禍で集まっての会議ができない状況で、web会議に月2回くらい参加するなどしているが、身動きが取れない巣篭り状態でいると、時間がゆったりと流れると思いきや、何もしないでいるにも関わらず、ものすごい速さで時が過ぎて、7月になってしまった。

7月と言えば、京都では祇園祭。夏の京都の暑さを忘れさせる豪華絢爛な祭り、その華やかさは動く美術館と言われるとか言われないとかである。

この祭りについて、知る限りを書くと、西暦800年代に京都を初め日本各地で、今のコロナ禍のように、疫病が流行した時、災厄の除去を祈ったことが始まりらしい。祭りは7月1日から始まり、前祭(さきのまつり)の16日の宵山、17日の山鉾巡行が行われ、後祭(あとのまつり)で24日に再びの巡行など、7月中行われる。

調べればもっと詳しくわかるのだろうが、これくらいの知識しかないし、皆さんの方がよくご存じだと思うので、あえてこのくらいにしたい。

仕事の関わりで言うと、これも何をしていたかは別にして、鉾町での宝物の展示に、多くの観光客が集う宵々々山・宵々山・宵山。市内中心部の四条烏丸から四条通り、四条河原町から河原町通り、四条御池から御池通りと進む山鉾巡行、八坂神社下の神輿渡御など、祭りの最高潮時に、何年にも亘って、祭りのど真ん中の四条烏丸や八坂神社下の祇園四条で「大忙し」に見舞われていた。

祭りが今のように前後2つに分かれる前の、17日は暑さも忘れ、いたるところで色取りどりに化粧された1つ1つの山や鉾の巡行を間近で眺めていた、本当に懐かし思い出である。

時には突然の雷を伴う豪雨に遭遇することも多々あり、その時は、雨乞いの神事ではないのかと思ったりもした記憶がある。そんな梅雨末期に行われる祭りでもある。この祭りが過ぎるとさらに暑さが町を覆い、京都は夏真っ盛りを迎える。

厄除けのお祭りにも関わらず、昨年に引き続きコロナ禍のため、いくつかの鉾立ては実施され、神事のみを関係者で行い、山鉾巡行などは、今年も中止とのことである。

残念でならないが、だからと言って、決して新型コロナに負けたわけではないと思う。神事でコロナを吹き飛ばしてもらいたいものだ。

さらに、今年の7月は、1964年の東京オリンピック以来、一年延期されたとは言え2回目の東京オリンピックが、コロナ過で賛否両論の中、開催が間近に迫っている。

賛否両面の議論、考え方はあるものの、いずれにしろ今のこのコロナ禍の状況に悪い影響が出ないことを祈るばかりである。さてさてどんな結末になるのだろうか。

そして、どうしてもコロナ禍について触れないわけにはいけない心境である。

ワクチン接種がかなりの速さで実施されている。私も当初の予約騒ぎに巻き込まれたが、何とか1回目を終え、7月中には2回目も完了できそうでほっとしている。

引き続き多くの方が、ワクチン接種を受けることによって集団免疫を獲得し、接種で先行する諸外国のように「収束」という勝利を1日も早く勝ち取りたいものだと思うところである。

今一度、最前線の医療関係者や社会基盤を支えておられる多くの方に、更なるエールを送るとともに、「収束」のほのかな希望の光が見え始めた今、もう一息の頑張りをと気持ちを新たにした、7月の京都から。

グルメメモ

熊野神社(東山丸太町) からふね屋コーヒー店ランチ

烏丸丸太町 MAEDA,S COFFEEランチ

烏丸御池 京都文化博物館内 MAEDACOFFEE

北大路タウン内 コメダ珈琲店ランチ

2021年6月

6月の京都は何と言っても梅雨の蒸し暑さだ。今年については、5月中旬から平年より20数日も早く梅雨入りしてしまったが。

自分自身の意識が成長ともにしっかりしてきたからか、季節感に対する認識が明確になってきたのが京都に来てからのように思う。九州在住の時の季節感は暑い寒いのレベルの記憶しかない。

京都の暑さは、肌に纏わり着くような感じだとか、寒さは肌を刺すようだとかそういった感覚である。これから3ヶ月間あまり、意識が少し壊れないかと心配するような蒸し暑さの季節を迎える。

5月からのこの一月間は、コロナの緊急事態宣言が再延長されるとともに、変異株の猛威に対する恐怖感から、文字通り家で巣篭り状態だった。

そのような中でも楽しみは見つかるもので、宇治川の堤防を毎日、往復約4kmにわたって父の肩身の双眼鏡を片手に、散歩することは出来た。

バードウオッチングなどという高尚なものではないが、鳥の鳴き声につられ、双眼鏡を覗いた。最初は全く何も見ることはできなかったが、少しずつ名前も知らない小さな野鳥を眺めたりできてきた。

さらにそのうちラッパの音(私はそう感じたが)のような鳴き声がし、探すと顔が真っ赤な「雉(きじ)」を何度も、しかも複数の生息を確認することが出来るようになった。見ることができた時は少なからず嬉しかった。ただし、芦原の芦の成長が初期で背丈が短い時期に限るのだが。

そんな状態なので、家での生活が主になっている。すると必然的に、テレビを見ることになるが、そこで前から思っていたことで、テレビの刑事ものなどのミステリーが、京都を舞台にするものになっていることの多さに気付き、驚くことになった。

「京都地検の女」「おみやさん」「科捜研の女」などだ。まだまだ色々あるが、最近の「遺留捜査」は、舞台を東京からわざわざ京都に移しているなど数知れずである。

そして、家から出られないからか、場面が西の嵐山から東の祇園などに移ると、行きたい感情が増すとともに、まるでスーパーマン、古くはエイトマン(ご存知ですか)のような速さで変わることに、面白さや違和感を感じながら、見てしまっている。

どういうシナリオかは分からないが、まるで毎回あたかも、1時間あまりの京都観光をしているように、天龍寺、嵐山、南禅寺、大徳寺、河原町、祇園、知恩院側の白川に掛る橋など主要観光地が舞台となっていて、距離感や時間の感覚が少しおかしくなるような感じがしてしまっている。次に京都観光をされる時はご注意願いたい。

新型コロナは、感染者が増える状況が変わらないまま、非常事態宣言は、延長の連続になり、期待していたワクチン接種が、65才以上の高齢者は4月からだったのが、7月に2回目が終わるのかさえわからない状態で、多くの人が惑わされていると思う。

悩ましいコロナワクチン接種予約争奪戦に参加せず、のんびり接種の日を待とう思っていたが、いざとなると完全に巻き込まれ、イライラの真只中に飲み込まれてしまった。本当に情けないと思う。

この状況を単純に批判だけするのは簡単だが、ワクチン以外打開策がない今、急ぐにこしたことはない。ただしやり方については、知識人だけではなく知恵者が必要なのではないか。例えば和歌山県は混乱なく日本一の接種率を上げている。行政の担当者の皆さんの知恵の出しどころではないだろうか。

そして、家族がいつワクチン接種できるのかを含め、多くの国民が集団免疫を獲得することが、コロナ禍を収束させる唯一の方法だと思う。まさに行政手腕にかかっている、頑張っていただきたいと切に思うところである。

とにかく、この瞬間も医療関係者を初めとする多くのコロナに立ち向かっている方々が黙々と使命感を持って、コロナ患者と最前線で向き合っておられることに思いを馳せ、日々の苦悩に対して、陰ながらしか伝えられないが感謝とエールを送りたい。

我々一般国民の不安感ばかりが増幅され続ける日々が続いているが、 とにかく、一人一人が一日一日注意を継続して、このコロナ禍を乗り切りたいものである。

グルメメモ

七条京阪横 利き酒サカタニ

烏丸御池近くの喫茶店

烏丸丸太町 MAEDA,S COFFEE

2021年5月

5月 山々を緑が覆う季節 5月の京都と言えば、葵祭。そんなに詳しく知るわけではないが、京都御所から下賀茂神社を経て、上賀茂神社へと葵の花を頭に飾った行列が練り歩く。京都三大祭では一番古いものらしい。調べればもっともっと奥深いものだと思われるが、素人がにわか調べで書くものではないとも思われる。

これも仕事で何をしていたかは別にして、御所から丸太町通りに行列が出てくるところで、行列が通り過ぎるまで見ていたことがあったが、物音に興奮した馬が御者を振り回して暴れ、辺りが騒然とした光景を見た記憶がある。

季節がらよく雨にたたられ、昼から中止になったり、加茂街道出雲路橋を静々と進む行列に古を忍ぶ思いがしたことを思い出した。

まとまった休みのゴールデンウィークが明けると、一気に仕事の圧迫感に悩まされたことが思い出されるが、そんな時期の祭りである。

そんな思い出も含め、2年連続で、今年も葵祭は中止とのこと、残念である。

また、メーデーに参加し、二条城から行進したり、平安神宮のある岡崎公園を練り歩いた思い出も懐かしい。

昨年、この時期に清水寺の門前町を歩いたが、ほとんど誰もいない光景に驚いた。写真に撮っておけばと今になって後悔しているが、今年の3月末に行くと、修学旅行の学生をはじめ、多くの観光客が訪れていた。今どんなことになっているのだろうか。

また、今月29日は1981年開業の京都市営地下鉄40周年でもある。京都に引っ越してきた当時は、まだ市内に路面電車が走っていて、地下鉄は影も形もなかったが、開通して40年が過ぎようとしている。時の流れは速いものだと改めて思うところである

京都について調べれば色々わかってくると思うが、知らず知らずに触れたことや体験したことを通して諸々の文化的なものを記す方が、生活感が出て良いように思う。

例えば食文化では、京料理、和菓子、漬物などなど、能、狂言、舞踊それに付随する物品、祭り、町衆、京ことばなど。何か京都検定のようになってきたが、その1つ1つに自分として接触したことを、細々と書き進めたいと改めて思うところである。

それでもいざ「次回は何を」と思案するも、あまりに無感覚で通り過ぎてしまって、50年余りいったい何をしていたのだろうか。緑の鮮やかさに少し眩しさを感じながら焦りも感じる思いに駆られた。

京都では新型コロナは先月12日からまん延防止措置が取られていたが、さらに25日から再び緊急事態宣言まで発令されてしまった。

そして65歳以上の我々のワクチン接種については、接種券は届くも、何時になるのかさえ分からない状況である。

技術大国・立国を標榜する我が国が、巷で言われるように「ワクチン敗戦国」へと落ちて行ってしまったのだろうか。何とも情けないし、苛立ちばかりがつのる毎日だが、もう一度初心に戻って日々の生活への感謝を忘れることのないようにしたいものである。

グルメメモ

伏見 鳥聖(焼き鳥 テイクアウト)

2021年4月

4月 京都にも春が来た。コロナについては、感染者は一旦減ってはいたものの3月末から50人を超える先の見えない状況であるとともに、65才以上の我々の、ワクチンの接種も5月になる状況で、ヤキモキ感に悩まされる今日この頃である。

そうは言っても、4月の京都はやはり桜か。桜の名所と言えば左京区の岡崎公園や最近近くの伏見淀の河津桜が知られるようになってきたし、少し遅れての右京区仁和寺の御室桜、さらには仕事でも色々あった北区原谷の原谷苑の桜などが有名で、あらゆるところで花盛りである。気分も一層華やぐ季節がやってきた。

京都の北東、比叡山下の大原も桜がきれいだ。この大原には「京都大原三千院、恋に疲れた女が一人・・・」というディユ―クエイセスの「女ひとり」という曲があるが、もの悲しくおもむきのあるもので有名ある。

この歌は「にほんのうた」シリーズの中の京都の曲で、永六輔氏が作詞いずみたく氏の作曲によるものである。その他全国の曲があるが、面白いことにシングル盤のこの曲の裏面は福岡の曲で、曲名がなんと「ボタ山」。このことは全く知らず、私の故郷そのものの風景に少し驚いた。

大原はご存じのように、よく知られた観光地で、三千院、建礼門院の寂光院など、京の奥座敷としてひなびたおもむきのある里であるが、私との関わりは、そこの西に位置する金毘羅山である。

20代後半の5年余り、ロッククライミングで頻繁に通った場所で、京都では知られたクライマーの聖地?だと思う。当時も多くのクライマーで賑わい、今も同じ状況だと想像する。その山の岩の上から大原の里が一望できて気分転換にはもってこいの場所だった。

そんな状況なので、三千院や寂光院などには今だかって一度も入ったことがなく、大原というとあのクライミングコースがどうだとか、あのコースで落ちたとかの話題しかなく、何とも風情を欠く話である。

一方4月は、出発の月のイメージもある。入学式、採用式、人事異動など多くで、「さあーこれから」という気分にさせられたものだが、少なからず、少しでも大変な部署への配属などの場合は、重苦しさに包まれたりもする。

そんなことばかり考えても仕方がないので、やはり前を向いていこうということであろうか。

病気を抱えながら採用された4月、歓送迎会が上京区今出川大宮を上がった西陣の「萬重」という京料理店で、40人余りの会が開かれ、初めて「懐石料理」をいただいた。

一年前は大学浪人でその会の時も病気に悩んでいたが、一品一品運ばれてくる料理に、夜間大学に行っていたとはいえ、学生から大人への門をくぐっていったような、何とも言えない感覚を鮮明に思い出す、19歳の4月だった。

コロナ2年目の春だがワクチンの効果を信じ、マスク、手洗いなどの生活を継続しながら、一日も早い勝利を思い、心緩む温かさの増す中、春の京都をそれなりに楽しみたいと思う今日この頃である

グルメメモ

嵐山 喫茶店赤まんま ランチ

2021年3月

1月からの新型コロナ緊急事態宣言が、関西圏を初めとして東京などを除いて1日から解除になった。気を抜いてはいけないが、少しほっとした気分である。このままワクチン接種などを経て、収束に向けばと祈るばかりだ。

3月はひな祭りである。雛人形は京都では島津の有職雛人形などが有名なところだ。どこか冬の寒さから少しずつ解放され、華やいだ感じのする月である。

京都では梅の花や、地球温暖化のせいか桜もこの月の花になりつつあるが、冬のモノトーンの色彩から少しずつ色合いが増してきて、穏やかな気分になれる時である。

一方、3月は別れの月の意識がある。引っ越し、学年の最後、卒業式、異動前の職場、そして退職などである。

引っ越しは大きなものが、福岡から長崎、長崎から佐賀、そして佐賀から京都だった。

卒業式では、行く大学が決まらず浪人生になってしまった桃山高校の卒業式で、寂しさ・悔しさ・これからまた入学試験を再度受けなおすことへの気だるさなど、大学生になろうとしている同級生の華やかさを自分は感じられなかった。晴れた伏見桃山丘陵の教室での遠い記憶を思い出す。

人事異動の前の期待と不安な気持ちを抱きながら、幾度となく経験した日々も懐かしい。それぞれの風景は、古びた中京区の庁舎の壁に刻まれていったと思われる。

40年の仕事の最後の退職の日は、寂しさよりも解放感に包まれ、これから何ができるかの期待に満ちた感覚を、春の日差しの中、少しの暑さを感じた中京区の街並みと共に思い出す。

かなりしんみりとした書き様で良い感じだが、私にとって3月は厄介な月でもある。それは花粉症だ。

登山に熱中していた時は、幸いにして影響がなかったが、30代後半くらいからひどくなり、前述のような気分では過ごすことができなくなってしまっている。泣きの月なのである。

いつものことであるが、個人として、この花粉に包まれた1か月をどう、しのいだものかと思案に明け暮れている。

それぞれが来る月への希望と憧れに包まれる3月は、昨年と同様、今年もコロナ禍でまったく異なったものになってしまっているが、何もなかった従来の日々のありがたさに気付かされ、当たり前のことの意味を再認識させられている。

ワクチン接種などによってコロナの収束が予想されようとしていることをありがたくかみしめながら、少しずつ温かさの増す時間を、少しは増えるだろう観光客のまだいない京都の片隅から楽しみたいと思う次第だ。

グルメメモ

元職場8人会 烏丸御池 創作料理じじばば木馬亭

元職場I氏 京都駅ビル京都劇場横 そば徳兵衛

七条京阪横 利き酒サカタニ

京都女子大学坂 喫茶店グラタンランチ

龍谷大学内 スタバランチ

2021年2月

先月から平年のような寒さが続いている。かなり以前になるのかもわからないが、京都の寒さには驚きを感じていた。

こんな感じで2月を迎えると思っていたが、またしても緊急事態宣言が関東に続き関西にも、年明け早々に発出されてしまった。そしてさらに3月まで延長される状況だ

この1か月コロナは、急速に感染が拡大したが、今、少しは収まる兆候は見えてはいるし、後数か月で、ワクチンの接種も始まるのではと期待している。いったいこれからどうなるのだろうか。

心配をしつつも、2月と言えば、節分である。九州にいる時も「福は内、鬼は外」の豆まきはやっていたように思うが、どんな感じだった今となってはわからない。

節分ではイワシと恵方巻きを食べ、邪気を祓うという。今年の方角は南南東。

そして今年は124年ぶりに2月3日ではなく2月2日だという。節分は元々旧暦の大晦日に行われた行事だったらしいが、詳しくは分からない。

節分で思い出すのは、これも仕事で何をしていたかは別にして、中京区の壬生寺と左京区の吉田神社の付近で、一日中、雪の舞う中、節分会・節分祭の参拝者を見ていた。

調べると壬生寺は、律宗のお寺で、991年の創建。この壬生寺の厄除け節分会は白河天皇(1053〜1129)の発願で始められた、900年の歴史のある行事で、壬生狂言が有名である。さらに近世・幕末では、近藤勇、土方歳三らの新選組の屯所があったことでも知られている。

吉田神社は、859年の創建で、例年は2月の3日間、厄よけ開運の祭事が行われるらしい。

この2つの節分は、京都では特に有名で、市営バスで2か所を同時にお参りする方が多くいる。

しかし今年は、やはりコロナの影響で、壬生寺では、壬生狂言が中止となり、さらに吉田神社では、祭事は神職のみで行われ、出店も中止になるなど、さびしい節分である。

また、伏見の城南宮では、毎年旧暦の正月2月11日に、春の七草(セリ、ナズナ、スズナ、ゴキョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズシロ)粥が参拝者に有料で供される。

以前一度だけいただいたことがあるが、最上級の淡白な味付けだったように思うが、今年はそれも中止とのことだ。

まだ大寒を過ぎたばかりで寒さはこれからも続くし、油断できない日々ではあるが、古の京都の人たちも、疫病の中、たくましく生活していたのだろうと、希望を持って、温かい春を待ち望む次第だ。

グルメメモ

元職場I氏 京都駅ビル京都劇場横 和食がんこ寿司

七条京阪横 利き酒サカタニ

2021年1月

新年明けましておめでとうございます。

実は、昨年このホームページの「義父の生涯」に載せていた義父が、年末に亡くなった。本来、年賀は言えないところだが、あの義父のことだから、今の世界の新型コロナウイルスの状況を見たら、「コロナなんぞ、吹き飛ばせ」とハッパをかけられるのではないかと思ったので、年賀をした次第だ。今年こそ、コロナを終わらせたいものだ。

新年を迎えたが、色々のことが、延期、中止となっている。

新年最初は、初詣だが、覚えている最も古いのは、佐賀武雄の時の、祐徳稲荷への初詣だった。

初詣は、今年は義父のこともあるので、中止だが、例年なら京都府八幡市の石清水八幡宮に初詣に行く。山の上の社殿まで短いロープウエイはあるが、しばしの登山である。

この石清水八幡宮は、最近国宝に指定されたが、私の感覚では、伏見稲荷や八坂神社、北野天満宮などの神社ほどポピュラー(日本語でどう表現したらいいのかわからないが、この言い方がすっきりする)ではないように感じる。今年の参拝はどんな感じだろう。

鎌倉の鶴岡八幡宮も有名だ。特に関東の方にとってはかなりポピュラーなのではないか。その鶴岡八幡宮を訪れた時、その縁起を読んで感心した。なぜなら石清水八幡宮からの分社などと書かれていたように思うからだ。

そこでそれぞれの創建の年を調べると、鶴岡八幡宮が1063年で、石清水八幡宮が860年。かなり古いものだと思っていると、その石清水八幡宮も九州大分の宇佐八幡宮の分社らしく、宇佐八幡宮の創建は571年らしい。

なんとも古めかしい神社の歴史であるが、この長い時間の流れの中で、多くの疫病の時代があったと思われる。

今年は全国のこれらの神社をはじめ多くの寺社で、疫病退散を祈願してもらい、暴れまわっている新型コロナウイルスを、追い払ってもらいたいという思いに結局戻ってしまった。

また、「アマビエ」様の力をお借りして!!! 平安な年になることを祈って1月の京都から

グルメメモ

元職場I氏 京都駅ビル京都劇場横 和食がんこ寿司

2020年12月

今年もいよいよ1か月を切ってしまった。年初からコロナ、コロナで振り回され続け、まだ暗闇の中で「ともし火」ほどの光も見えていないのではないか。重苦しい日々が続いている。

そうは言っても、12月の京都は慌ただしい。

今年は2年に一回のNHKの歳末助け合いの受付のアルバイトで、京都放送局に通っている。

12月は押し詰まった感覚がするが、それは私だけか。

12月の京都では、21日の東寺さんの「しまい弘法」、25日の北野天神さんの「しまい天神」(どちらも毎月の雑貨市)、そして京都の台所、錦市場などがにぎわうが、今年はどんな感じなのだろうか。

31日の大晦日の思い出は、仕事の内容は別にして、10数年に渡って大晦日から元旦の日の出まで、北野天満宮の門前で年越しをしたことか。とにかく寒かった思いが強い。辛い記憶も、なんと縁起の良いことだと今は思えるようになった。

また最近、NHKBSアーカイブか何かで、著名な山岳写真家の過去の映像を見る機会があった。

場所は、パキスタンヒマラヤの8000m峰、ナンガパルパッドを望む花畑の話だった。

見始めてすぐに、その山は夜間大学でも書いたが、大学の同級生が登山中に滑落事故を起こした場所だと気付いた。

当時は新聞で遭難を知るのみで、いったいどんな場所だったかなどまったく知ることができなかった。見ながら遭難した彼のことを思い出し、こんな美しい場所だったのかと、少しだけ心が安まるとともに彼の魂がこの花園で癒されているのではとさえ思えた。そんな別天地のようなヒマラヤの花園の風景が広がっていた。

そんなことに思いを馳せたが、現実に戻されると、例年なら12月は宴会シーズンでもあるが、今年は静かにおせちの材料を買い、家でのクリスマスや年越しになるのだろうか。

次の年が、平安であり、コロナを必ず克服するという希望を持って、新しい年を迎えたい。12月の京都から。

グルメメモ

元職場5人会 京都駅ビル京都劇場横 そば徳兵衛

七条京阪横 利き酒サカタニ

竹田駅西口 バンブーハウスランチ

伏見区役所横 喫茶店ランチ

2020年11月

京都生まれでない者が京都を語るのはいかがかとも思うし、京都検定のような知識もないが、1970年に両親とともに京都に来て、今年で50年になる。50年間京都で過ごしたことを踏まえ、季節を主に、知識ではなく体験したことを中心に記したいと思う次第だ。 

11月は、紅葉の季節。これと言って観光地としての京都の紅葉の名所に、それこそ観光として訪れたことはない。紅葉で思い出すのは高雄。仕事で1日中多くの紅葉狩りの人をしり目に過ごした。何をしていたかは別にして、11月の紅葉に関する忘れがたい思い出だ。

さらに紅葉で思い出すのは、堀川通り今出川〜紫明通り間の、街路樹の銀杏の紅葉。仕事の行き詰まりなどを思いながら、車で通った時の、黄色一色の光景。

若い時、宇多野ユースホステルでの11月の催し物に参加はしたが、晩秋の雰囲気に物悲しさばかりを感じた。

山岳部の例会で、愛宕山に登り、保津峡から清滝川辺りの秋を楽しんだこともあった。山を越えると嵯峨野が広がっている。

通天橋で有名な東山の東福寺もよく行くが、紅葉の風景を見たことがない。

近場で言えば、桃山の明治天皇陵の秋の光景も趣のある感じで良い。

などと思うそんな中、今年は世界に目をやると、アメリカ大統領選挙が混迷しているし、

さらには、喉の痛みから2日で38度の熱を出して、咳による胸の痛み、頭痛、悪寒などに見舞われてしまった。

大手の病院の発熱外来を受診(今、全国で発熱患者の受診拒否が起こっている実態と、医療機関と行政の感染対策担当との対応の違い、そして発熱患者が病院に行く交通手段の問題などに直面した)すると、胸部CTを取られ、他人事と思っていた新型コロナのPCR検査を受けるはめになってしまった。

結果を待つ間、最近知らされた知人の同窓生の新型コロナによる死を思い、もし陽性なら、家族を初め身近な人に移していないかなど、熱でもうろうとする中、思いを巡らした。

結果は、軽度の肺炎と新型コロナ陰性でほっと胸をなでおろし、今少しずつ体調がよくなってきている。

しかし、これが新型コロナに感染しないことにはつながらないし、いつ感染するかわからない。何とも腹立たしく、緊張感の止まない日々がこれからも続いていく。

1年があと2月で終わる11月は、いつもは季節の移り変わりとともに知らず知らずに過ぎ去ってしまうが、今年は計らずも、こんなことが起きてしまった。

当たり前だった、京都の秋を楽しめる日々が早く戻ってほしいと思う。

グルメメモ

元職場8人会 JR長岡京駅西口 和食にし田

元職場I氏 京都駅ビル京都劇場横 そば徳兵衛

梅小路公園JR駅前 スタバランチ

2020年10月

今年、2020年は新型コロナで日々の生活というか、これまでの時代が大きく変わってしまう年になってしまった。

人々は生活の変化に戸惑い、これまでのありきたりで、当たり前だと思っていた日常がどれほど恵まれたものだったかを思い知らされることになったのではないか。

そんな年に当たり、これまでの生活を顧みながら、千年の都、京都の月の移り変わりをまったくの無知識の者の目ではあるが、ぽつぽつと語り綴っていきたいと思った。

10月は秋祭りの季節だが、今年に関しては、京都三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)がいずれも中止になるなど、これまでの京都の趣は皆無である。伏見の御香宮の秋の祭礼も知らないうちに何もなく過ぎ去ってしまった。「静かな京都」伏見の10月

しかし、京都の長い歴史を思うと、知られることない数多くの、そして想像できないくらいの困難に見舞われながら、忍耐強く一歩一歩その歴史を紡いできたことを改めて知ることができるのも、コロナ禍の今であるからではないかと思われる。

この京都の民衆の力は見習うべきもので、厄除け(新型コロナ)が京都中の神社・仏閣で行われている。一日も早い終息・収束を願うところだ。

誰もいない清水寺や伏見稲荷などの観光地を見ると、観光関係者などのご苦労をお見舞いしつつも、「静かな京都」の経験したことのない光景に少なからず興味をそそられてしまう。

少しずつ人は戻りつつあるが、限りなく早急に「にぎやかな京都」に戻ることを祈る、10月の京都からの想いである

グルメメモ

元職場I氏 伏見大手筋 屋台居酒屋大阪満マル

元職場8人会 京都駅ビル京都劇場横 そば徳兵衛

同窓生4人会 四条烏丸 和食酒采食房いち

小川コーヒー本社 喫茶ランチ

高台寺横 喫茶店カレーランチ

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