幸福の感覚(私の場合)

幸福の感覚には、対極に失望感やくやしさ、報われるかどうかはっきりしない多くの努力などがある。

まず、家族をはじめ、友人などとの関係をふと実感した時、色々の出会いがあり、継続・維持している今(これを「絆」というのか)に、深い幸福を感じる。また、1人で人生を歩いてきたように思っていても、取り巻いてくれる人と、過ぎ去った日々の事を語れる時間を得た時、至福の感覚を持つ。それは対極に、同数以上の多くの惜別の経験を経て、話すことがなくなった多くの人たちを思い出すからなのか。

次に、健康であること。対極には病気の苦しみがある。

今回の新型コロナウイルス危機で、改めて思ったことは、健康については、個々人にかかわることと思われるところであるが、コロナ危機で、ウイルスに対する恐怖心をすべての人類が共有していると思うと、健康はまさに不変の価値観であることを再認識した。

また、抑圧された状況を脱した瞬間、例えば、いじめやパワハラ、一時的に緊張を強いられた仕事などから、解放された時も幸福感を感じる。対極には日々の辛い忍耐がある。

さらに、何か、一般的に小さな事でもそれを達成した時の感覚。例えば、入学試験の合格、スポーツでの勝利、登山での登頂など、対極に日々の勉強や辛い練習、長い道のりの登りがあったから達成できたのだ。

また、何もない人生でも、希望や目標などというものを持つ、抱いている状態も幸福感があるのではないかと最近思い出した。それに向かっての細やかな努力や憧れが生きる糧になり、日々の生活を豊かにしてくれると思う。

旅で味わう感動。対極には単調な日常生活があり、旅はそこからの一時的離脱なのだと思われる。

仕事からの解放は、これといった実績がない者にとって、そこから離れることは、一般に感じる寂しさはさほどなく、辞めた瞬間からワクワク感が止まらずにある。私の場合は、仕事における多くの挫折感によって増幅されている。

高校の時の英語の教科書の一文、「一般の村人と賢者の会話で、甘いものは何かについて、村人は、この村のハチミツと言い、賢者は深い眠りと。そしてはやいものは何かについて、村人は、この弓矢がはやいと言い、賢者は時の流れと言ったという。」この話を何故か覚えている。

そして、カラオケの十八番は、河島英五の「時代おくれ」

などなど、他にもあるが、思い出せず、まとめられず。考えつづけよう

そんな中、今、新型コロナウイルスで日本中いや世界中が大変なことになっている。今まで日常では普通に出来ていたことができず、特別なように感じる。

そう思うと、平凡な日常のありがたさや、普通の生活が如何に幸福なことなのかを思い知らされる。

そして、戦時中の生活が(今の私たちの多くは経験していないが)、いかに大変だったかを知ることができるのではないか。

ともすると忘れがちな、普段の平凡な生活の有難さを再認識し、この災難をみんなの団結・協力で乗り切りましょう

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