IFの世界 「もし」の出来事

人生では、「もしも、この時」という出来事や決断が誰にでも、数多くそして必ずあるはずだ。それをいくつも通り抜けて人は生きていく。

私の場合は、先ず、父の上清炭鉱石炭ガス爆発事故 その日は父の怪我の退院の日だった。10日くらい前に、父は坑内で怪我をし、入院していた。退院と言うことで病院に母と行っていて、ただならない状況を感じた、父は退院と同時に、会社の炭鉱に、その日から一週間あまり徹夜で詰めることになった。

5才の私と母は、テレビのある上司の人の家に集まり、テレビを見ていた。遺体がどんどん運び出されるシーンばかりが目に焼き付いている。 もし、父が10日前に事故にあわなかったら、この日入坑していたことを後で父から聞かされた。もし、この事故がなかったら、長崎への転居もなかった。

長崎飛島への転居 事故から私達家族は、それまで父が長く生活していた、長崎松浦の飛島に引っ越した。小学校生活のいじめ、中学1年の解放や色々な出会いを経験した。もし飛島に行かなかったなら。

飛島炭鉱閉山 社会経済の大きな変化の波にのまれるかのように、エネルギー政策の転換で、石炭から石油への大波にのまれ、突然炭鉱が閉山した。多くの炭鉱で働く人たちが職を失い、新しい職を求めて全国へばらばらに もしもそのまま住み続けていたら。

51歳で、北松浦に長く居た父が、新しい職を求めて関西へ、大きな冒険ではなかった。京都への転居 もしも京都に来なかったら、高校生活、就職と夜間大学、私の今に至る人生の多くのことが全て別のものになっていた。他のどんな人生があったのだろう。

大学受験失敗とB型肝炎発症 数少ない受験の機会を自ら失敗し、しかもB型肝炎で入院してしまった。もしも大学に合格し、発病しなかったら、家計のための就職もしなくて良かった。

家計のために就職したが、どうして、最初の職場に配属になったのか、もしも別の職場だったら、そして、この職場のある先輩が、「小説を書かないか」の勧めが、今この文章を書かせている。もしもその先輩の言葉がなかったら

思い出せる if の出来事を書き出しても、多くのことがあり、まだ他にもあったのかもわからない。

決して、今の状況・人生を後悔してなどとは思っているわけではないし、両親の判断や自分の判断を否定しようと思っている訳でもない。 そうは思っても、どうにもできない出来事が起き、その時、どんな判断をしたかを思い返し、別の判断をしていたら全く別の人生があったはずだ。

さらに、そもそも、もし生まれてなかったらまでいくと、禅の謎の「父母未生前本来面目」に行きつくような。

こんな視点で、自分の人生を振り返るのも面白いと思った。こんなことをふと思う時、人生の大いなる不思議に思いを巡らせる。

If if if・・・・・人生はIFそのものなのだろう。

トップページ

.

.

.

inserted by FC2 system