煌めきの高校時代

中学校を3度変わった者からすると、どうしても区切りとしての3年間を過ごした高校時代のことを忘れることは出来ない。さらに卒業後の長期入院を経験した者としても。主なものは、

1年の時の学生運動、パトカーが校内に入ってきた。今では考えられない光景だった。3年生の政治への思いの強さと、今日は授業の休講がないかと密かに期待していた自分を思い出す。

さらにツイッギーが持ち込んだミニスカートを多くの女生徒が着用していた。

修学旅行は信州で、最終日、白馬で、担任の先生に、徹夜しても良いかと、正面切って尋ねると、廊下に1時間正座したら許そうと言われ、くそ真面目に正座し、終わって疲れ果てて徹夜どころではなくなって寝てしまった。

その日、ごちそうになったコークハイの味は忘れることができない。

さらに3年の時の遠足だ。当日、雨か曇かの中途半端な天気の中、遠足の実施がなかなか決まらず、他のクラスが先に遠足に出発したとの情報に、我々もと思い、クラスの多数で出発してしまった。

近鉄桃山御陵駅で、同級生の1人がホームに落ちて、危うく特急に引かれかかるアクシデントがあったが、途中で暴走に気付いたものの結果的にそのまま奈良に行ってしまっていた。

そして、東大寺の大仏殿の裏で、修学旅行生らしき中学生が昼食か休憩をしているすぐ横で、野球をやっている大人の集団に対し、正義感をみなぎらせて「危ないやないですか、学生がいます」の言い合いの末、つかみ合いの喧嘩になってしまった。

相手から「お前らどこの高校や」と言われたが、授業からの逃亡の上に、喧嘩騒ぎはやれないと「天下の桃山高校や」と言いたいのを押し殺し、その場を去らなければならなかった悔しさを懐かしく思い出す。

その後、遅れてクラスの何人かが、学校から遠足の許可が出たとの知らせを持って、奈良公園で合流した。当時は携帯電話もないのによく合流できたと思う。

あの時は、嬉しかった。合流した仲間と一緒に若草山に登ったりし、その後伏見に戻り、大手筋の喫茶店「ベティー」で遅くまで反省会をしたりして、楽しい秋の日を過ごした。

3年生最後の冬休み、狭いアパートでの受験勉強にも嫌気がさしていた。親に住環境の不備を愚痴って、自分の集中力の無さを胡麻化していた頃、どういういきさつかは覚えていないが、同級生2人と自分たちが学んでいた教室に入り、10日ほど自習したのだ。

冬休みに教室を借りるなどありえないが、3人で各々好きな席に座って自習した。そのうち下敷きを使って卓球をしたり、中庭で紙飛行機を作って飛ばしたりした。自習した記憶より遊んだ記憶の方が強かったが、現役受験本番で私以外の二人は合格を勝ち取っている。

桃山高校の位置や当時の風景を少し

高校の位置を考えると、豊臣秀吉の旧伏見城(木幡山城)内だということに気づく。前身は、京都府立桃山高等女学校。

近くには、明治天皇陵や桓武天皇陵(平安京を造った天皇、この場所が本当の陵墓かは定かではない)乃木神社、御香宮神社などがある。

10月の御香宮神社の秋祭りには、多くの生徒が正しく参加したように思うし、祭りのリンゴ飴を校内で見た記憶がある。

明治天皇陵の230段の階段で、クラブの基礎練習をしていた。

そして、今は柵に囲まれて入ることが出来ない桃山御陵だが、50年前の高校時代には、柵も今ほどしっかりしたものではなかったので、友人と中に入って森の中を彷徨い、鉄筋コンクリートの桃山城の前に出た記憶が残っている。石垣の跡があったようにも思うが、なにせ50年前などで定かではない。

校内の中庭に、円形のコンクリート製の貯水槽が蓋のない状態であったが、ラグビー部に誘われた下級生が、入部を断ると、この中に落とされるという噂があったように思うが、思い違いか。

木造の食堂にはお世話になった。値段は忘れたが、ビックリうどん?や定食を、昼前には済ませていたように思う。

体育館には住人がいた。沢山の鳩たちで、多くの糞が落ちていた。卒業後先輩などとの会話で、体育館は何回火事に遭遇したのかが、話題にのぼる。

今も出来るのかはわからないが、バイク通学ができ、学校の前の坂道を、ロクハンで爆音を轟かせてくる生徒。かなり多くの生徒がバイク通学だった。

そして、学生服を着ても良かったが、ほとんどが自由服で授業を受けた。先生が着物で授業をされたりして、アットホームな学校。それでも何故か卒業写真は学生服のクラスが大半。先生の多くも個性豊かな方が多かった。

体育祭の応援団は、校庭の隅から見ていたが、カッコよくて今でも憧れのシーンだ。みんな輝いていた。

世の中には、吉田拓郎やユーミンのメロディーが流れていた。

文化祭の演劇講演、軽音楽部やギターマンドリンクラブ、さらに吹奏楽部の講演など華やいだ催し物、多くのスポーツクラブ。毎日の授業だけではない、楽しくまたほろ苦いたくさんの思い出があるが、受験という時限爆弾を背負いながらの日々は瞬く間に過ぎてしまった。

3つの授業

また、なぜか忘れられない思い出深い? 3つの授業があった。

何年生か定かではないが、化学?の授業の時、原子の構造の話だったと思うが、先生に「玉ねぎを切ったらどこから切れる」と質問が私にあり、しどろもどろで答えられずにいると、先生が「皮から切れますね」と言われ、それをきっかけに、化学が解らなくなり受験科目から外した。(すべりましたか?)

次が生物の授業で、先生が「生物は受精卵から生まれます。例えば、鶏のように。同じように我々人間も卵から生まれます。わかりますね。」 すると一人の女生徒が「無理無理!!!。絶対―――無理!」  先生が「どうしてですか?」女生徒いわく「こけたら割れますから」(これもすべりましたね)

最後は、雨が降り外で体育が出来ない日、保健体育の講義が教室であり、先生いわく「人間の受精の確率はものすごく低く、精子がすごい生存競争を勝ち抜いたから今のあなたがいる。あなた達は超エリートなのです」この一言でその日は、受験勉強しなかった。(最後のすべった話)

今の高校生は一体どんな高校生活を送っているのかと思いながら、青春のど真ん中を、まっしぐらに駆け抜けたあの時代を、思い返してはやり残したものはなかったかと、不意に思い返すことがある。

そして、さらに昨今社会が幼稚化したなどと言われているが、私たちの高校時代は幼稚なものだったのだろうかと、考えてしまった

高校の時の楽しい思い出は、煌めきとともに、このように脳裏に焼き付いている。

桃山高校が、その後、病気と就職の混乱の時に、K先輩との出会いという形で再び現れ、そして影響を与え、その時の逆境を乗り越えさせてもらうことになった。感謝である。

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