食について

食への拘りもない。ただ思い当たるのは、母への感謝である。

母は、私が幼い時から、偏食にならないように、何でも食べさせた。美味しくない物も。そのため味覚を感じる範囲を広げてもらえた。甘味・苦味・酸味・辛味など、物には色々な味があるのだ。

和食、洋食、中華、とにかく食事は人生を豊かにする。

海外旅行でも、その国の味を、楽しむまでいかなくても感じることの意味を理解できる。その食がどのように生まれたかなどを思えるのである。

また、長崎の小学生時代は、おやつとして食べるものがあまり無かったので、よく海岸に行き、「雲丹(うに)」を取って食べたり、漁港に干してある「いりこ」を無断で取って食べたり、更に山で「椎の実」やアケビに似た「ウベ」を木に登って取ったりとワイルドな生活をしていた。

今の小学生では考えられない食事情だろう。

そして、学校の給食についても、中学終了までの9年間で1回しか経験がないので、給食への憧れは強い。

色々のものを食べることは出来ても、再度食したいと思わないものもある。鮒寿司やホヤ貝など。

更に、京都には、長い食文化がある。高価なものも多いが、それなりにこの文化を味わいたいと思うところである。

そんな中、人脈のところで書いたように、高校の同級生4人の会食や元の職場の方との会食において、中華料理、和食・懐石料理、イタリアン・フレンチ、すき焼き・焼肉、具体的には、はもしゃぶ、東山七条のわらじやウナギのコース料理。これはもう人脈ではなく食脈だ。

これからも、幅広く色々な食、味を楽しみ、人生の幅を広げたい。

そして、このHP制作でお世話になった先輩T氏の食に関するブログがアップされたので掲載することにした。豊かな食の世界の共有である。

元職先輩T氏のブログ リンク

そしてこんなこともあった。京都に引っ越した当初、家族でお寿司を食べに行き、イカを見て「京都のイカは白いのか」と家族で話したことがあった。長崎松浦では透き通ったイカしか見たことがなかったのだが。

思い出の味として 福岡田川時代のアンパンとスイカ 飛島のいりこ、うに、クジラの刺身 イワシやアジの刺身 今福の船着場の食堂のうどん 武雄のチャンポン 豚まん 武雄中学の生涯一度の給食 高校の食堂の定食 そして京都の懐石料理などなど

博多阪急の小浜チャンポン

さらに、京都に中学3年で引っ越して来た1970年春、伏見中学の裏の疎水近くの丹波橋通りにかどやという食堂があったが、そこの中華そばが美味しかったことをなぜか鮮明に覚えている。その後店は新堀川に移ったが長年営業していることは知っていたが、2023年の今、中学の知合いが12月31日で店が閉店すると教えてくれたので久しぶりに訪れた。相変わらず美味しい中華そばのラストを味わうことができた。54年前の味だった。大将や女将さんと昔の店舗の話もすることができた。本当に懐かしい味である。

かどやの中華そば

また、父が元気だった最晩年に、二人で月1回色々なところで飲んだり、母と二人で、お墓参りに行き、昼食を取ったり、喫茶店でお茶したりしたが、食事は人と人のつながりの媒体でもあることは間違いない。

そんな中、食について考えというか思いが変わったことを思い出す。それは、働き始めてすぐの頃、友人たちと初めて寿司屋に行って、食事したが、その時初めて自分の稼いだお金で支払いをした。自立の味というか、何か美味しく、特別の味がしたように感じた。

更に、叔母の介護の調整に2日を費やし、くたくた状態で、家内と食べた「しゃぶしゃぶ」の味は忘れることが出来ない。単なる美味しい食事ではなく、混乱の2日間のご褒美を貰ったように思えた。

そして、嬉しいことに、ご近所の方が手打ちの蕎麦を作ってくれることがある。高い蕎麦屋さんに行くこともなしに、本物の蕎麦を美味しくいただく機会を得ている。

あの鼻から抜ける蕎麦の香りが何とも言えない。

これも最近のことだが、コロナ禍の中で、友人のI氏宅で、密を避けてお酒を楽しんだが、合わせて奥さんの玄人はだしの手料理もご馳走になった。

本当に感謝しかない。食には、色々な意味がありそうだ。

現職当時の宴会場所について

採用当初の歓送迎会 今出川大宮上がる京料理の「萬重」

それから多くの、送別会、歓迎会、季節の宴会、忘年会、新年会を経験したが、主なものが、

河原町三条のアサヒビヤホール、四条河原町のビヤホール「ミュンヘン」

ホテルでは、都ホテル、新都ホテル、ホテルオオクラ ブライトンホテル 京都駅ホテルグランビヤ

中華は四条堀川の「楊」、四条大橋の「東華采館」

四条大宮の餃子の王将一号店 市役所近くの京料理の「京四季」

市内に数軒ある京料理の「美濃吉」 四条烏丸近くの京料理の有名店「木乃婦」などの懐石料理店 烏丸丸太町の京料理の「十二段家」 伏見の京料理店「魚三楼」「清和荘」

四条大宮の焼肉店「大将軍」、焼肉「弘」、「南大門」、すき焼きの「モリタ屋」

などだが、他にも何回となく色々なところに参加してはいたように思う。にもかかわらず、やはり、仕事の延長だったのかこれ以上思い出すことが出来ないし、美味しいものをたくさんいただいたはずが覚えていない。情けない次第だ

仕事での会食で思い出すのは、就職当初は、夜間大学に通ってもいたので、大学のない時は仕事が終わると5時から帰る男だった。それがいつの間にか少しだが、飲み会・宴席に顔を出す5時から男になっていった。

宴会の幹事を何度もやったことか、一人だったり、複数人で大きな宴会の幹事をしたように思う。また色々な職場での同僚の方たちとの複数のグルメの会にも参加して、美味しいものをいただいた。

飲み会の開催趣旨は、思うに「同じ釜の飯を食う」という考え方から発想されたものなのか。今の若いサラリーマンは、仕事上の飲み会をしないらしいが、誰でも最初は敬遠するものだが、仕事に慣れ、年を取るに従い、仕事にかこつけて飲むようになるのではないかと思う。仕事を肴に飲むのは、悪い動機ではないと思うのだが? 相手次第なのかも分からないが。

食と健康について

これまでは、私の人生での食について書いてきたが、食を通しての健康に関しては漫然と過ごしていたように思う。なぜそう思うかというと、そんなに肥満でもないし、標準体重なのにもかかわらず、50代から軽度の糖尿病と言われだしたからだ。

決定的と思うのは、色々なものをまんべんなく健康志向で食べていると思っていたが、空腹時にただ「美味しい、美味しい」と勢いに任せて、食べていただけなのかも分からない。

一つ一つの食物の持つ、食感や味などをしっかり味わっていないのではないのかと、この年になって初めて気が付いた気がする。

糖尿病という食に関する致命的な病名を前にし、今からでも遅くはないのかもわからないので、適量をじっくり味わいたいと思った次第だ。結果として、健康にも必ず良いことになると思う。

もう一度、食と健康についての思いを新たにした。

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