株との格闘

株式投資との縁というと、夜間大学で経済学を学ぶ中で、ジョン・メイナード・ケインズ(有名な経済学者であることは明らかだが、投資家だった一面もあり、かなり儲けたらしい)を知ったことや家計の状況があったからではなかったか。

1970年代後半に製鉄会社の株を買ったのが最初の投資である。 ただし、あくまで趣味程度のことである。資金もあるわけでもないし、時間もない。そのうえでの話である。

買えば下がり、売れば上がった。まるでこちらの手の内を知られているかのように。ウナギを掴むような感覚だ。(長崎時代に実際に釣ったことがある)

全く思いどおりにならない。

健康的にも、損出がかさむと精神も含め身体に悪い。やっと元の値に戻っても直ぐ手放し、これからという時には、儲けられない。ヤキモキの連続である。

詳しくどんな銘柄に、どれだけ投資したか内容について、書けるのではないかと思うが、とにかく中身がパッとしない。読んでもらっても面白くないと思う。やはり華々しく儲かった話の方が良いに決まっている。

本屋に多くの株式投資の、しかも儲けた話ばかりの本があるが、どうしてあのように上手くいくのか、全く信じることができない。

最近思うが、信長の鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、秀吉の鳴かぬなら泣かせて見せようホトトギス、家康の鳴くまで待とうホトトギスが、株式投資に当てはまらないかと思ったりもする。

北野天満宮の石のせ大黒天(右)

北野天満宮の石のせ大黒天(左)

自制力がないと、大火傷をする。投機であってはならない。

では何故、投資するのかと言えば、ほどほどの投資は頭の活性化になるのではないかと思ったり、また、ある種の社会参加ではないのかと勝手に考え、更には、昨今のゼロ金利に対し、一庶民のせめてもの対抗手段として活用できないかとの思いからである。

そして少し儲けたり、配当を貰ったりし、更に株主優待で商品も貰えたりすることが、ほんの細やかなご褒美である。

それから、毎日の株式市場の状況を見るたび、私もウオーレン・バフェットやジョージ・ソロス、是川銀蔵になれるのではと、誇大妄想する今日この頃である。

経済政策について

昨今の経済状況や国民の所得について思うと、企業が成長することなしに、経費削減によって業績を伸ばし、従業員たる国民は、正規・非正規などと色分けされ、労働組合も一部の組合員のみの団結を求め、一向に全体としての国民の所得が、余裕をもって向上していないことは明らかだ。こんな社会が豊かなはずがない。

経済政策として「最低賃金の向上」を求めてはどうなのだろうか。1円上がれば、どれだけの全体所得に影響を及ぼすのだろうか。

私は、一国の経済成長率は格差是正率に等しいと思っている

そして、誇大妄想だが、国家予算が多くの国で破たん状態の状況を考えた時、国家とは別に、公益性を担保できる、新たな世界規模の基金組織を作り、あらゆる企業や団体、民衆から基金を募り、国際政治を運営してはどうなのだろうか。

当初は、公益性の高い国際企業が、その業務を担って、さらに規模と決済機能の国際的公益性を持たせていけば良いように思う。

丸い地球、正に国際距離は短縮し、戦争を吸収できるほど地球は大きくなくなってきている。国家間の戦争は、人類の絶滅を引き起こしかねないと考えるのは、誇大妄想か。

国力とは

そして、昨今指摘され、実感も伴ってきた日本の経済力の衰えであるが、少数の富豪だけの経済力で国の経済力をけん引することなどできるはずがない。

JAPAN AS NUMBER ONEと呼ばれた時期は、国民が皆、「中流」意識を確認できるほどの所得を得ていた。ラグビーで言えばゴール前に全員でモールを組み突進している光景で、国民全体で世界経済を前に進めていたように思う。

今はと言えば、一部の富豪が奢侈的な行動で世間の関心を集めるなど、スタンドプレーばかりだ。企業の業績は、合理化に次ぐ合理化によっての黒字で、実際には全く成長していないのではないだろうか。

このことに早く政治家・企業家、そして国民が気付き、「分配」によって、国民一体となって、世界経済に挑む状況を一日も早く取り戻してもらいたいものだ。

国力とは国民一体の力だとどうして気づかないのだろうか、不思議でならない。

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