人間関係

人と人のつながり、どこか気が合う程度のことから始まるものなのだろうか。

性別は別にして、気の合わない人とは、いずれにしろ付き合いは存在しない。また最近気づいたが、適度な距離感というか、知らず知らずにそういうものも信頼の上に出来上がっているように思える。

人間関係を形成するものとして、家族、仕事、学生生活、地域社会、趣味の仲間、社会生活上の様々な付き合い(飲み屋の主人など)、などなど。

人生の色々な辛く厳しい状況に陥って、もがき苦しむ時に、いつもと変わらない付き合い、対応をしてくれる人は、本当に信頼できる友人であることがわかる。友情や絆を確信するのは、遭遇したくはないが、逆境の時かもしない。

これらを含め、この歳になって何か屁理屈をこねまわすつもりはないが、これまで、特に仕事での人間関係に大いに悩まされたものとしては、人間関係について少しは思うところ記してみたいと思った次第だ。

とは言え、研究論文でもないので、何か「こうだ」みたいなものを解き明かすこともできないし、そんなことを考えながら人と接するのは肩がこる。

さてさて、どんなところから書こうかと思ったが、まとまらなくなってしまった。その上で、

対男性

まず、男性との付き合い。同性であるので、私は多くの人と、特段何の意識もせず接し始め、その中から親しみを感じ、長い時間を共有すること(こういう感情が友情だと断定できるものではなく、はっきりしているのは長期の時間の共有が友情なのだと私は思う)、単純に表現できる図式であると思う。

ただ、環境の変化でそのつながりがなくなることはあった。

印象深いのは大学受験。九州にいる時非常に仲が良く、手紙のやり取りをしながら、同時に受験を体験した友人がいたが、その友人は、現役で京都大学に合格(合格発表を私が見に行き、合格を伝えた)、私は全滅ししかも病気で入院。この状態で一度は再開したが、それ以降完全に音信不通になった、どちらからともなく、何が起こったかまったくわからないまま。

また、付き合いの延長で、仕事がかかわると、私の感覚では、良い方向にはいかない気がする。(私は人間が小さいのだろう)

嬉しいことに、退職後にもお付き合い出来て、当時の事を「肴」に、少しお酒でも入って歓談するときは、最高である。

対女性

どうしても少なからず、友情という時間の共有の中に、一言では割り切れない何かを、どこかに、ほんのほんのわずかに感じながらの交流になってしまうのか。(考えすぎで、何かこじつけすぎている???)それでも、人生の戦友はいる。

仕事での人間関係

このHPの「仕事の流儀」でも書いたが、自分として仕事をする上で注意したことや、派閥的な事には無頓着で、かなりわがままに行動してしまったりしたし、しかも堅苦しく厳密な表現で正義とかではなく、「流儀」というかそういうものについて自分なりに守りながら40年を過ごしてきた。それが影響したのかは定かではないが、結果として終盤は思いもしない結果を招いてしまった。

そして、ここで記すことはあくまで私個人が感じたことで、個々の個人を誹謗・中傷するものではない。

そんな40年の中で、仕事上の友人は別にして、仕事をするという状況での上司、同僚、部下などの方々と、色々な人間関係を経験することになった。基本的には自分の好みに合うか否かの単純なものなのだろうと思うが、それに色々な要素が加味され複雑怪奇な世界が広がるのだろう。

上司の方との人間関係

上司としてお付き合いした方の名前を思い出してみたが、所属とかを考慮すると21人の直属の上司に仕えたことになる。そのうちしっかり名前を思い出すのは、17人である。

一般職の初期は、指示が直属の上司から一方向で単純に降りてきていた。それぞれの上司とのやり取りが全てで、人格的に受け入れられた方もおれば、指示に従うのがしぶしぶという方もいた。先のように好き嫌いが出てしまうのはどうしようもないし、それは基本的なことだと思う。

組織の人事配置で意見がおのおの異なり、対立ばかりの組織では、直属の上司に従っていても、その上であっさり違う指示に変更になることが多々あり、誰の指示に従えばいいのか困惑したこともある。

このような組織は得てして、困難な案件や大きな案件を抱えた部署で、議論百出は当り前なのかも分からないが。

管理職になると、その職場ごとの複雑な人間関係や自分の職務を遂行するためには、あらゆる方向に神経を使うようになった。直属の上司に影響を与えているのは誰なのかとか

中には長時間にわたって、組織の進む方向と異なった、理解しがたい指示を繰り返す方がいたりもしたが、中心的な役割を担っている時は、組織としての指示がきちんと通されて、一方向に進んでいるので、上司の考え方などが良く理解できて信頼感が持てる状態だった。

そんな中で思い出したことがいくつかある。延々と小言を言い続ける上司とお付き合いしたが、最後に大喧嘩をしてしまい、1年後の異動は左遷扱いされると思っていると主要ポストに抜擢されたことがあった。

また、逆に幹部会議の席上で、さらに上位の上司が大風呂敷を広げ、功名狙いの発言をしているように感じた時、忖度をすべきだったのかも分からなかったが、あまりに根拠がないので担当者として反論してしまい、その上司の顔に泥を塗ることになったのか、口論となったこともあった。

黙っていられない一本気な性格を押し通してしまった。当然それ以後気まずい関係になって後々の私の人事異動に影響したと思われるが、仕方のないことだ。

ポストが上がればさらに上位の上司との関係が現れるが、指示に従うことを拒否したことはないとは思う。理解しがたい指示も多くあったのではないかと思われるし、頭から感情的になって下される指示には大いに困惑させられた気がする。

また、同じく「仕事の流儀」の中でも述べたように、影の影響者としての横の上司の存在もあるが、この方に気に入られることはどうすればいいのだろうか。結果としてはどうすることもできないという答えになる。

一方、そんな私をフォローして頂いた上司も多くいた。自分としては主要な部署での重要業務を担当してきたと思っているし、そんな上下関係の良好な時間は短く感じられ、仕事そのものも面白かったように思う。

上司との関係で次の職場の時間をどう過ごせるかは、人事異動に現れるが、学歴・派閥のない者は、人の嫌がるところなど色々の部署へ異動させられることは仕方のないことだ。新しい部署で新しい良好な人間関係を素早くつくり、これをいかに解決していくかが能力なのだろう。

こんな一本気で応用が利かない者も、昇進している時は、上司や組織から一定の評価を受け信頼を得ていると思うが、後半の30年後にして配属された全く新しい部署からは、直属の上司の指示に従うだけでは本来の業務は遂行できないように感じた。

周囲の状況が全く理解できないままに動くので「へま」が多くなる。この時の上司は物分りもよく助かったが、それ以上にこの上司も周りが大変な状態で、私のフォローなどをしてもらえるものではなかった。ただ相談や話は聞いてもらえたので、上下関係としては良好だったのかもしれない。

この時以降、上下関係は存在したが、まるで糸の切れた凧状態で、与えられた状況では自分を機能させることがまったくできなくなったし、たとえ上司に相談したとしても、「自分で解決しなさい」しか返ってこなかった。

今でも違法ではないのかということを前提にしたノルマを長期間課せられ、なかなか達成できず困惑・混乱し続けたり、人事異動で全く未経験の部署が機能不全に陥り、そのすべての責任を私の「個人的な勉強不足」とされてしまったりと、なかなか理解しがたい上司とお付き合いすることになった。忘れてしまえばいいのだろうし、宿題でもないのだが、今でもどう対処したら良かったのか答えを知りたいと思うことがある。

これも「仕事の流儀」で書いたが、上司に対して理想像を描きすぎて、上司も弱い一人の人間として、乗り越えていくくらいの気概を私が持っていれば結果は変わったのかもわからない。単純に能力がなかったのか

最後は、一般職に降りて挙句の果てに、年下の上司に「仕事もろくにできないのか」の言葉をいただくことになり、万事休すとあいなった次第である。

同僚の方との人間関係

これも所属とかを考慮し、7か所の部署で管理職ではなく一般職として、約30人の同僚の方と、そして管理職になってから、同級の同僚の方、約40人の方と一緒に仕事をしたことになる。

まず一般職の時、色々の方と仕事をしたが、やはり印象が深いのは、数年の勤続から弁護士に転職したM氏のことが真っ先に思い出される。

同僚との関係は、概ね良好に過ごすことが出来て、あまり思い出すことはないが、管理職の時代で、1つ思い出すことがある。それは仕事の押し付けである。

人事異動の時、急に私の部署に厄介な仕事が割り振られてしまうことがあった。誰がそうしたのかわからない場合が多かったが、横の部署の同格の長が分からないように処理したり、「あなたは優秀だ」と褒めていた方の仕事が、こちらに来たりということがあった。

私に抑止力という武器がなかったのが原因なのだろうか、同僚として気を許してしまったのがわるかったのか。いずれにしろ真相はわからないし、対処の方法も分からないままである。

また、面白いと思うのは、昇進について、本当に当初は興味がなく、楽しく仕事が出来ることばかりを考えていたが、いざ同僚が昇進すると、やはり気になり知らず知らずにそのことばかりが仕事の中心になるという、悪循環に落ち居ってしまうのだろう。

部下の方との人間関係

さらに、8か所の部署で管理職として、各部署に1人から300人を超える数の部下と言える方々に協力して頂いた。頼りない上司で迷惑をかけた部分は御勘弁いただきたい。

私の場合は、ほとんど任せっぱなし状態で部下の方を信用して対応してきたように思う。ただ判断することが出てきた時だけは間違いのないように注意を払ってきた。

また。がみがみと叱責や叱咤したりは決してしないことも心掛けたと思う。これは自分が部下の時に、ある種の上司から色々受けたことに関係したのかもわからない。

さらに、組織の新陳代謝として、次に誰を昇進させるのか、そのためにどう指導していくのかも頭を悩ませたし面白くもあった。皆さん能力があり私自身羨ましくも思っていたことを思い出す。

そして、これもはっきり言えるが、部下の方に裏切られたと感じたことは一度もないように思う。上司や同僚との関係ばかりに悩まされた思いが強い。

管理職として多くの部署を乗り越えてきたが、これらは多くの部下の方の協力があったからだと感謝しかない。

こんなことを記すということは、「煩悩」なのかもわからないが、もしこれを読むことがある現役の仕事人の方がおられれば、こんなこともあるのだと知ってほしいと思うところだ。

思い当ることを書き連ねてきたが、生計を立てること、いわば生きていくために仕事をしていく上で、人間関係は避けて通れない。こうすればこうなる的なことは、一般的な出世もしていない者からの情報としては、役に立たないのかもしれない。

一方、取り組んだ仕事については、終盤の一部を除いてしっかりやれたという自負はある。今、細々ではあるが、少数の現職時代の方々と、お酒をいただきながら、当時の話をしたり、旅行が出来ていることを考えれば、全くの敗北ではなく、細やかな勝利と言えなくもないと思う次第である。(自己満足OK!!!)

まだまだ「仕事での人間関係」は奥が深く、私がごとき者が軽々しく記すことではないのかもわからないが、思い出すに付け気付いたことは、綴り続けたいと思う。人生の大部分の出来事なので

不可思議

単純に男女だけの関係を取り出したが、前に書いた、家族、仕事、学生生活、地域社会、趣味の仲間、社会生活上の様々な付き合いなど、個別に取り出せば、まだまだ色々出てくる。

さらに深めていきたいが、大学などで人間関係学などに全く触れたことのない者の戯言だし、私自身の独善的なつぶやきであることを感じながら、さらに、先ほどの色々な人間関係の項目について引き続き考えてみたい。

人生における人間関係とは、コミュニケーション能力を獲得した人類として、日々避けることは出来ないものだが、不可思議極まりないものである。

家族との関係(言い訳なのか)

このことはあまり触れたくないところだが、世間一般の父親などの姿からすれば、かなりひどいものだと自覚はしているが、普段の行動などは、迷惑ばかりかける存在だと思っている。

それでも家族が幸福に生活できることを、こんな状態だが、いつも頭の中に置いている。

子供については、どこまでも信頼をもとに、できるサポートを陰ながら続けようと思っている

今後とも大目に見てもらって、これからの人生を共に進んでもらえればと思う次第だ。

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