少年時代

幼い時の思い出は、年を重ねても忘れることのできないものが多くある。平凡な学校生活の中でも記憶に留まる出来事があるのは当然のことであるが、私の場合は、小学校4年生になって、同い年の番長というかガキ大将の仲間に、数人まとめて無理やり引っ張り込まれてしまった。どういう経緯でこうなったかは今となってはわからない。

この状態が中学1年の中頃まで続くようなことに陥ってしまった。小学校3年生までは優等生の仲間達である。4年生の担任の先生はさぞかし驚いていたことだろうと思う。

先ず、先生の言うことを聞かない命令が出た。授業中は騒ぎっぱなし、しゃべりまくり、美術なども故意に変な絵を描いたりした。

成績も、ガキ大将より良かったら、報復されるので、わざとテストを間違えて答えたりもした。自分たちでどの辺りまで成績を下げるか計算しながら、我々は頭が悪くなっていった。

また、ソフトボールの練習を通していじめが増幅されていった。ミスすれば殴られ、殴り合いの喧嘩を練習と称してやらされ、ひどい時には、砂場に埋められたこともある。

その結果、ソフトボールは強くなって、市の大会で勝ち進むようになっていった。

いじめは当然、放課後や夏休みの学校の無い時にも及び、特に楽しいはずの夏休みは、ひどい時には、一日中付き合わされた。

島と島の間を死ぬ思いで泳がされたり、焚火をして、危うく火事になりそうになったり、椎の木に登り危うく落ちそうになったり、畑の作物を荒らしたり、チャンバラごっこで竹の棒で叩きあったりとありとあらゆることを、強制的にやらされた。

小学生だけで船で出かけ、近郊のデパートで遊んだが、その費用はほとんどがみんなの持ち寄りで、貢がされた。

その他、空き瓶回収、早弁など、書ききれないほどのことがあった。

これらの実態は、親や教師には話せず、仲間だけの秘密になっていた。

なぜこのように、がんじがらめになってしまうのか。昨今もいじめが話題に上がるが、どう対処すべきかはっきり分からない。

その時の力学としては、仲間から抜けたいという力に対して、ガキ大将は、もちろん暴力は言うまでもないが、無視し村八分のような制裁で対抗してきた。

この無視された時に、どうして仲間から抜けたり、他のグループに助けを求めなかったのか不思議である。

意を決し、一人で抜けようとしたことも幾度かあったが、脅しのような、懐柔するような態度に、最終的に「抜ける」と言えずに4年間近くもこの状況が続いた。

仲間同士でお互いを監視しあう状況は、独裁国家のようなものではないかと想像する。正に悪夢である。

暴力という力ががっちりと固まって我々を支配していた。自由な生活がいつの間にかこのように変わってしまうのだろう。

最終的にどんな結末になったかは、小説「サワーアイランド」の中で、もったいぶって、謎解きしたい。こんな簡単な方法があろうとは、夢にも思わなかった。ガキ大将の力をそれ以上の力で制圧したことになる。

この時の開放感が今でも忘れられない。

65才を過ぎた今でも、このことは忘れることができない。そして本当に幸運なことに、60数年間も私の心の中に仕舞い込まれた、誰にも話すことがなかったこのことを、当時お世話になった、担任を含め2人の先生に話したり、このホームページを読んでもらったりすることができた。本当に幸運だと感謝している。

遠い長崎に置き忘れた忘れ物を取り戻すことができた気がする。このことをHPにアップするにあたって事前に、同窓生で元教師のY氏に読んでもらったが、彼曰く「いじめではないし、結構楽しい生活ではなかったのか」と。

いずれにしろ、私にとってこのことは大切な出来事である。

小説 サワーアイランド

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