B型肝炎に取りつかれる(小説 ウイルスがやってきた)

肝炎の体験は、今から約40数年前の、高校卒業から1ヶ月あまりで、大学受験に失敗し、浪人生活が始まった4月のある日、突然の吐き気と嘔吐、コーヒーのような尿の排泄、地面に引き込まれるような身体の重さと倦怠感に襲われた時から始まった。

日に日にいや時間ごとに症状が悪化するのがはっきりとわかった。 近くの病院にかかると、即刻入院を言われた。最初の一週間あまりの症状の恐ろしさは今も鮮明に覚えている。ベッドの上でぐったりし、食事がほとんど取れず苦しみながら、病気以外のことがまったく考えられない状態で過ごした。

その時、病院の関係者が、「彼の肝臓は腫れている」と言っていた言葉が今も耳に残っている。

一か月前まで、元気だと思っていた高校生だったし、多くの同窓生が新しい生活に進んでいるのに、自分はいったい何をしているのかと、悪夢を見ているようで、嘘だろうと何回も思った。

小説 ウイルスがやってきた

急性肝炎

病名はAST(アスパラギン酸アミノ基転移酵素、GOTグルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミラーゼ)、ALT(アラニンアミノ基転移酵素、GPTグルタミン酸ピルビン酸転移酵素、両方とも肝臓機能を調べる代表的な指標で健康者は50以下)が3000以上に上がった急性肝炎だった。黄疸が出たりして、結果的に75日間の入院になってしまった。

健康保険

その時は、父が佐賀から転職してきた会社を、一年後に定年退職する予定で、家計的にかなり苦しい時期だった。医療費・入院費は、父の健康保険の3割負担で賄われていた。

何とか退院し、その後受験勉強に取り組もうとしたが、病気に対する不安感は日に日に増した。混乱の中、昼間の大学は諦め、就職試験を受け、仕事に就きながら夜間の大学に行こうと考えた。これは、なんとしても早く健康保険に加入しないと、医療費が家計から払えなくなると思ったからだった。

健康保険に加入できれば、当時は治療費の本人負担が、その都度少額定額負担で済むことになっていたし、その後の改定でも3割負担で治療を受けることができた。

夜間大学・体重激減

1年後、就職と夜間大学が決まるとともに肝炎が再発。治療が再開した。入院することがなかったのは、今思っても幸運だった。 昼間働いて、病院で点滴をし、夜大学に行くという生活は病気の身にはかなりの酷使で、自分でも恐ろしいほど体重が減り、1年後大学の診療所の医師にも、一度休学して仕事も休んで治療に専念した方が良いとも言われた。

その後の3年間、このように苦しみながらも何とか大学も卒業し、普通のサラリーマン生活に入るが、肝臓の数値は一進一退で、完全に治らないという絶望感に悩まされ続けられた。

B型肝炎

そんな中、主治医が別の検査をして、始めてHBs抗原が陽性のB型肝炎であることが分かった。両親は、親族でだれもこんな病気の人はいないのにと、自分の子供である私の将来を心配した。 1989年に、5人のB型肝炎患者が被害救済を求め、札幌で訴訟が始まった。その原因が集団予防接種であることが、2011年の基本合意で確認されたが、1970年代のこの時期には、自己責任の段階だった。検査、注射・点滴、服薬の日々が続いた。

服薬(漢方)

この時期の長期にわたる服薬については、複数の薬を利用していたということだけで、カルテの記載を見ないと自分では分からない。インターフェロンの治療を勧められたりもしたし、健康保険適用外の漢方薬もかなり長期に服用した。小柴胡湯などだ。

結婚

次に心配したのが結婚だった。幸い主治医が、HBe抗体が陽性の今の状態(セロコンバージョン)では移さないだろうと言ってくれたので、結婚に際して家内に事情を話し、結婚もできた。そして幸いにも家族に移ることはなかった

B型肝炎が他の人に移ることに対する意識は、結婚のこともあり、あまり気にせず、色々な人に明け透けに話してきた。これは私のB型肝炎という病気に対する無知によるもので、今思うと他の人はどう感じていたのか、話してよかったのか、後悔することがある。

仕事最盛期

その後、一時スポーツを再開したり、登山に行ったりするくらいまでになったが、肝臓数値は一進一退で、検査と服薬の治療を続けた。 年齢も40歳過ぎで仕事が一番忙しい時期に、再びAST・ALTが300を超える時があり、苛立ちの日々を過ごした。

職場の友の会

職場でのことだが、数人でB型肝炎友の会と称してお互いを慰めあったりもした。その中の一人の先輩が肝臓がんになり、「一年に2回くらいはエコー検査をした方が良い」と言っておられたので、その時から毎年2回検査を続けている。私にエコー検査を勧めたこの先輩は、ソフトボールくらいの腫瘍ができ、ほどなく亡くなられた。

このような体験の中で、現在までの約40数年間、血液検査を年4回以上実施、そして数え切れないほどの点滴と注射、毎日の服薬、加えて30代後半からエコー検査を始め、その後年2回の実施が今も続いている。そして腹部MRI検査も加わっている

検査結果も自分なりに記録していった。

訴訟

現在、B型肝炎訴訟を進めてきているが、この訴訟で、これまでの苦しみを贖って貰えるのか、断腸の思いである。

一般に、裁判というものに、人生で何回も巡り合うことはないと思うが、裁判を通して感じたことは、事実を証明することの難しさである。 入院体験や闘病について、苦しんできたことを、裁判での意見陳述などでどれだけ叫ぼうが、それを裏付けるカルテなどがなければ、一切認めてもらえない。 考えすぎてはいけないが、自分の人生そのものを否定されたような、怒りや虚しさを覚える。このことについて担当のK弁護士には色々迷惑をおかけしている。

B型ウイルス性肝炎訴訟奮闘記

また訴訟を行う中で、色々な集会に参加し、B型肝炎で苦しんでいるのは自分一人ではないことを知り、私よりもっと重篤な肝硬変や肝がんの方や、色々な状況で、様々な苦しみを抱えた方についても知ることにもなった。

私は、このB型肝炎によって、自分で人生の中の色々のことを勝手に制限して生きてきてしまったと思っている。特に精神面で、直ぐに「もうこれくらいで良い」と諦める傾向が強くなった。

私のこの体験を、いつ誰が発病してもおかしくない実態と共に、多くの人に知ってもらいたいと思っている。また、多くの患者が、B型肝炎であることで、差別や偏見に苦しめられている。例えば、低い確率にもかかわらず、その説明をすることなしにただ「汗で移る」ということのみを発言する医療関係者がいる。そのため、訴訟開始とともに、患者会に入会し、微力ではあるが、世話人として肝炎患者の支援活動に加わっている。

国の肝炎対策1 リンク

国の肝炎対策2 リンク

京都肝炎友の会 リンク

日本肝臓病患者団体協議会 リンク

全国B型肝炎訴訟大阪弁護・原告団 リンク

京都府の肝炎対策 リンク

患者講義

このような状況の中、B型肝炎訴訟大阪原告団の事業であり、患者会としても取組んでいる、「患者講義」を母校の立命館大学で、微力で力不足であったが、行う機会を得た。

「患者講義」は、患者が自分の体験を述べ、弁護士がB型肝炎訴訟を通して患者救済・支援の活動を講義するものである。

当日は、母校の法学部の学生70名あまりを前に、発病後で一番B型肝炎で辛かった40十数年前の、当時の大学生活の話をすることが出来た。

この体験で、誰にもぶつけることが出来ない怒りであり、人生の中で深く刺さった棘(とげ)が少し抜けたような感じで、当日担当してもらった、立命出身のH弁護士、同じく立命出身の女性F弁護士や、受講してもらった学生諸氏、また傍聴していただいたB型肝炎訴訟大阪原告団の先輩をはじめ関係者の方々に、心から感謝したい。

それは、講義後の学生諸氏の感想やアンケートが、通り一遍のものではなく、私の話の中の、当時の病状や生活・将来への不安などがメモされ、一人一人の受け取り方・感想が、それぞれ細かく書かれていて、「伝わった」という実感を得ることが出来たためだった。

H弁護士のパワーポイントのトラブルさえも、私の話に集中してもらうためのしかけだったように思えた。

そして、H弁護士の話も熱心に聞いてもらえ、「弁護士がカッコよく見え、感動した」とも書かれていた。

学生諸氏のこれから将来の社会生活に対し、少しは印象に残せたのではと自負するところである。

大げさだが、あの感想・アンケートをもらって、読ませて頂いてから、私の大切な「宝物」になった。

さらに、大阪大学法学部での患者講義でも、講義後の学生諸氏の感想やアンケートで同様の多くの感想を得ることができ、体験をしっかり伝えることができたと確信している。

気が付いたことだが、私の体験は18才からのものなので、年齢の近い聞く学生の方がより自分自身のこととして感じやすいのではないかと思った。

ここで、改めて自覚症状を知る患者としての体験を話す(患者講義)ことの意味と使命について考えてみると

◎感染していても、肝臓の70%が壊れないと自覚症状がでない。

◎発病していても、自覚症状が出ないからほったらかしてしまう。

◎自覚症状が出たらかなり重症で手遅れ

◎血液を介して移る。例えば結婚・母子感染など

◎ワクチン接種で感染が防げるという知識を知らせ、正しい対処法を普及させる。

◎正しい知識を話し、偏見・差別を防ぐ。

◎結婚や母子感染などによる悲劇を止める。

◎裁判の非情さを伝える。

◎重篤な患者の声なき声の代弁者・語り部として体験を伝える

これらのことを正確に伝えることが必要だと痛感しているし、これが私の使命であり、患者講義の意味だと確信している。今後もこの取り組みを通して、自分には関係ないと無関心な人に対して、「あなたも、肝炎ウイルス検査を受ける」ように話していきたい。

個人の患者講義実績

2018.11.13 近畿高等看護専門学校 聴講生50人

2019.2.22 華頂看護専門学校 聴講生50人

2019.11.13 立命館大学法学部 聴講生70人

2021.12.2 大阪大学法学部 聴講生162人

2022.6.24 大谷大学社会福祉学科 聴講生20人

2023.6.9 滋賀医科大学医学部看護学科 聴講生60人

2023.10.13 滋賀医科大学医学部医学科 聴講生70人

中学教育における副読本活用と患者講義

2022年2月、厚生労働省健康局から文部科学省初等中等教育局に対して、中学校現場で、副読本「B型肝炎 いのちの教育」を活用し、社会科(公民的分野)・人権教育・保健体育科(保健分野)などでの活用すること、合わせて、中学校での「患者講義」の講師派遣実施の周知依頼が出された。

この件について、月行事になっているお茶会の友人で、元中学校教師だったY氏に色々資料を見てもらい、ホームページを創るに際してと同じように、相談に乗ってもらった。

彼曰く、「社会常識や知識が未熟な中学生に、大学生や専門学校生と同じような内容のことをそのまま伝えても、なかなか理解が出来ないのではないか、かみ砕いて、興味を引くような工夫が必要」との、具体的なアドバイスをもらうことが出来た。感謝している。

全国で2022年6月現在7校の中学校から講義依頼が来ているとのこと、これからどんな展開になるのだろうか、興味津々である。

このことについては、文部科学省のホームページにも「B型肝炎に関する教育について」という項目で出ている。

文部科学省「B型肝炎に関する教育について」 リンク

肝炎コーディネーターについて

京都府肝炎コーディネーター リンク

肝炎医療コーディネーターの養成については、2008年の厚生労働省健康局長通知の「肝炎患者等支援対策事業実施要綱」に基づき、後の「肝炎対策の推進に関する基本的な指針」において具体的に示された、「肝炎医療コーディネーターの養成及び活用について」で取りまとめられている。

これに基づき各都道府県において、肝炎コーディネーターが設置されるところとなり、京都府においても、京都府肝炎対策協議会でその設置について、多くの議論がなされてきた。

この趣旨から、京都府との協議において、肝炎コーディネーターにどのような役割を担ってもらうのか、任命権者として一定の方針・方向性を明確にした上で取り組まれるよう、京都府肝炎対策協議会の患者委員を通して要望してきたところである。

個々の肝炎コーディネーターが何をしたらいいのかということに悩まれることのないように、切に願うところである。

府の肝炎コーディネーターについては、養成研修とその後の認定試験を経て養成されているが、養成研修には患者会から講師を派遣し、患者支援の必要性等を患者目線に立ったコーディネーターとしてその役割を十分に果たすよう、訴えているところである。

現在、医療担当(医療機関・健診機関)と啓発担当(行政機関等)に分かれ、公表が可能な機関の名称と人員について、京都府のホームページに掲載され、相談体制の一翼を担っておられる。

京都府では、肝炎コーディネーターに対して「京都府肝炎コーディネーター通信」を発行・配布されるとともに、アンケートも実施されるとお聞きしている。

患者会としては、肝炎をめぐる過去の経過を踏まえ、国の肝炎対策の一環として設けられたこの「肝炎コーディネーター」の趣旨に沿って、京都府が運営されることを注意深く見守るところである。

そして、我々、京都肝炎友の会の世話人も、医療担当、啓発担当の区分の中の啓発担当として、2022年5月に肝炎コーディネーター研修を受講し、はれて京都府の肝炎コーディネーターのなることが出来た。

NPO法人京都難病連

2019年、まだ新型コロナが蔓延する前、京都肝炎友の会が参加する、NPO法人京都難病連の難病ピアサポート研修に参加し、ピアサポーターに認定してもらった。

ピアサポートとは、同じような立場に立っていたり悩みや課題を持ったりする仲間がつながり、支援し合うという事で、かなりしっかりした内容の研修だった。

肝炎患者の支援に役立つと思っての参加だったが、なかなか同じ病気の肝炎患者に対しても簡単に支援できるものではないが、色々勉強を進めていきたいと思う。

NPO法人京都難病連 リンク

肝生検

「肝生検」は針で直接肝臓組織を採取し、その状態を確認するもので、2泊3日の日程で入院・受診した。

1日目は、入院手続きを済ませ、病室に入り、血液検査や翌日の肝生検についての説明などで終え、ここまでは一種の旅行気分で過ごすことが出来た。

2日目いよいよ検査当日だったが、午前中から血圧が高い状態で、病室からベッドのまま、検査室に運ばれて行った

腹部局所麻酔をするなどの準備の後、いよいよMRIを見ながらの検査が始まった。

検査は、京都肝炎友の会の顧問で肝臓専門医のK先生にお願いしていたが、この時も血圧が180くらいまで上がり、精神面の弱さが出てしまった。

検査で、針が右脇腹に刺されたが、麻酔で痛さは分からないし、肝臓には痛点は無く痛みを感じないで直ぐに終わると思っていたが、はっきりと腹の中で何かが動き、かき回されている感覚が長く感じられた。

「えー、何、この感触は」と冷や汗が出る長い時間を味わった。

終了後は、病室までまたベッドで運ばれ、それから数時間全く動くことが許されず、上を向いたままの状態が続いた。

寝てしまうと動く可能性があるので、眠気もじっと堪えた。肝臓からの出血を防ぐためらしい。

その後、ゆっくり起きて、トイレに行ったり食事を取ったりして2日目を終えた。

夜は、2日とも浅い睡眠だった。

3日目は血液検査で、赤血球が正常かを確認したと記憶しているが、血液検査が正常だったので、退院が許可された

以前から一度受けたいと思っていた検査でもあり、また旅行代わりに数日間座禅をしてみたいなどと考えていたので、それに代えてこの検査を受けようと、変な思いも抱きながらだったが、結局、自分自身の精神力の弱さばかりを改めて思い知らされる体験だった。

勝利宣言?

この肝生検での結果、私の肝臓の状態はすこぶる良好だったし、数年前からの人間ドックでもHBs抗原がマイナスになってきていた。

思うに、私のB型肝炎ウイルスは、裁判が嫌いで、提訴と同じ時期に、長年住みついた私の体内から、その姿を消したようだ。ウイルスとの戦いに私は勝利したのか。

B型肝炎の原因である集団予防接種は、ある年代の方は、みんな経験していることだ。いつ誰が発病してもおかしくない。一度肝炎ウイルス検査を受けることを強く勧める。

痛恨の極み

人生色々悔いの残ることに遭遇する。こんなことがあったが何とかできなかったと痛恨の極みである。

それは、元の職場の先輩で、ご近所におられた方のことである。

その方は肝臓病に悩まされていると早くから聞いていた。

時々挨拶をする程度のお付き合いで、お会いした折には肝臓病については触れずにいた。

最近になって、状態が悪化されているとも聞くことになった。肝硬変が悪化されていたが、治療には高額の費用を要するため、対処療法のみしかされてないとのことだった。

そんな中、ある日ばったりお会いし、少し長話をすることが出来た。

聞くと、C型肝炎から肝硬変になり、腹水がたまっていて、京都医療センターにかかっていて、患者会の顧問のK医師も知っているとのことだった。

その会話の中で、私から口頭で肝臓病の医療補助などについて色々お話することが出来た。

別れた後、気になったので家にあった補助制度などの載ったパンフレットをコピーし封筒に入れて、その方の家のポストに投函した。少しでも役に立てればと思ってのことだった。

ところが、2日後その方が亡くなったという事を知らされた。そういえば夜中に救急車の音を聞いたことを思い出した。

数か月前にお話が出来て、受けられる助成制度で高度治療を受けられていたらと、言葉を失ってしまった。

今は、口惜しさと共にご本人のご冥福をお祈りすることしかできない、無念!

新型コロナウイルス

ここで文章は終わりになるところだったが、2019年末から2020年、そして2022年4月の今、新型肺炎コロナウイルス感染が大問題になっている。

このホームページに、「勝利宣言?」や「小説 ウイルスがやってきた」などをアップした時期が重なったので、全く関係もないし気にかけ過ぎだとは思うが、本当に未知のウイルスがやってきてしまった。

そして、ウソみたいな情報を耳にした。あくまで確証ではないし、今後の研究に委ねられることなのだが、それはBCG接種に関して、日本や韓国などBCG接種を実施した国と、スペイン、アメリカなど接種を実施していない国における致死率が明らかに異なるということである。

BCG接種の国の致死率が低く、接種をしてない国が高くなっている。今後の研究に委ねたいが、もし関連性が証明されると、私達B型肝炎患者は、これらの予防接種でB型肝炎に罹患し、そのBCG予防接種で新型コロナウイルスから救われることになる。現在、このことは詳しく分からないままである

もうわけがわからなくなってしまった。いずれにしろ、人類とウイルスとの戦いは続く。

今は、これまでの当たり前の生活がいかに恵まれたものだったかを、じっくり顧みて、感謝の気持ちを持って生活していきたいと思う次第だ。

新型コロナの中で(発熱患者への対応)

2020年11月、のどの痛みから2日で38度の発熱による軽度の肺炎になり、コロナのPCR検査を受け、陰性判定を受けた。

この事態で、いくつかの困惑と混乱を経験した。まず、係りつけ医が発熱患者を診察しない現実。今までならすぐに受診できたが、電話相談には応じてくれても診察はしてくれない。係りつけ医の規模・設備によるが、これが第一の困惑である。係りつけ医は、発熱外来を紹介し、連絡を取ってくれるが、予約までは取ってもらえない。結局、自分で連絡を取ることになる。

また、行政のコロナ感染対応窓口に連絡を取り、状態を説明すると、いくつか質問され、コロナかどうか一定の指針は教えてもらえるが、治療については「かかりつけ医がある」の一言で、「相談してください」になる。さらにすぐに紹介された発熱外来が受診できない場合は、どうするのかを行政に聞くと、次の別の病院の名前は教えられないとのこと。大手の病院なので、こちらから1〜2つ名前を上げると、決して名前は言わなく「そこです」との回答。なぜこうなのか理解不明だった。

やっと発熱外来の予約ができ、いざ行こうとすると、今度は、発熱患者は、原則公共交通機関は利用できない。自家用交通手段のない単身者はいったいどうすればいいのだろうか。特に高齢者に運転免許の返納を勧めているが、発熱したフラフラ状態の高齢者は、どのようにして発熱外来に行けばいいのか困惑のピーク。(2022年1月現在 発熱タクシーという物が整備されている)

そして発熱外来は、まさしく野戦病院のおもむきで、コロナの境界線での戦場。駐車場で車に待機して、診察を受ける多数の患者がいた。私を含めた数人の患者は、11月の寒い日に開け放たれたプレハブの建物の中で、間隔を隔てたパイプ椅子で震えながら問診を受け、胸部CTやPCR検査を受診する。発熱外来では主に、コロナかどうかを中心にしていて、検査結果が出るまで、一般的な診断を受けそこで終わりになる。陽性なら保健所の管轄に移り、陰性なら服薬を処方するだけで、風邪なのかインフルエンザなのかは分からず、どうしたらいいのかと困惑した。

幸いにして、私は陰性だったが、一万円近くの費用を支払うことになった。

色々の混乱・困惑を感じたが、コロナのこの状態に関しては、かかりつけ医は、院内クラスターを心配し、行政は全体のコロナ対策の進行を心配し、公共交通機関は機関内での感染を心配し、発熱外来はコロナの判別を主とし、補完的な治療がやっとの状況。この状況でどこを批判することができるだろう。ただし患者もどうすればいいのだろうかという問題も残る。

もし仮に陽性になった場合、自宅・ホテルでの療養が義務付けられ保健所による見守りに移行するが、保健所の保護がうまく受けられないことが大問題になっている。

このことについても、症状が出た場合は、保健所は薬が処方できないことになっていることはよく知られているが、薬をもらえる方法はないのかと、突っ込んで行政に聞いてみると、陽性判定をした病院に頼み込めば、保健所の指示待ちだけではなく、薬をもらえるとのことだった。このことを多くの待機者が知っているのか疑問である。もっとその辺りがしっかりと周知されていれば、待機者の重篤化は防げるのではないかと思う。

何から何まで初めてのことで、実際に新型コロナの感染に関して、その厄介さを具体的に思い知る出来事だった。

ファイザー・モデルナ製新型コロナワクチンの抗体値

京都大学ips細胞研究所のワクチン抗体値治験に参加しているが、その結果が送られてきた。確かに6ヶ月後抗体値が10分の1になっていた。

ワクチン接種前 6.8 AU/mL(陽性≧50 AU/mL)

1回目接種後2週間 19.7 AU/mLファイザー製

2回目接種後2週間 10300 AU/mLファイザー製

1回目接種後3ヶ月 3150 AU/mL

1回目接種後6ヶ月 983 AU/mL

3回目接種後 21300AU/mLモデルナ製

3回目接種後5〜6月後  3720AU/mL

注 測定項目 新型コロナウイルス スパイクタンパク質S1サブユニット受容体結合ドメイン(RBD)に対するIgG型抗体(AU/mL)

B型肝炎と新型コロナ

B型肝炎(HBV)感染者は、世界で20億人、持続感染者は35億人で、年間50〜70万人が死亡している。

日本では100万人以上が感染し、10〜15%が慢性の肝疾患(慢性肝炎→肝硬変→肝細胞癌)へ移行していると言われている。

この数字を見て、今回の新型コロナウイルス感染症と比較すると、感染力は急激ではないものの、その規模においては、B型肝炎ウイルス感染症がはるかに上回っていることがわかる。

マラリヤ、HIV、結核の三大感染症にウイルス性肝炎を加えた、4つが四大感染症となってきているが、当初は国際保健機関でウイルス性肝炎は無視されてきた。

2030年までに世界のB型C型肝炎の排除(エリミネーション 2015年に比べ、2030年までに新規の慢性感染者の発症率を90%削減。慢性感染者における死亡率を65%削減)がSDGsに盛り込まれることになった。

悪あがき

この話は、あくまで自分自身の納得のために行ったことだが、結局今のところ、何の成果もはっきりした理由も知ることにはなっていない。徒労だったかもわからないが、書き遺す意味があるように感じたのでここに記すことにした。

それは、B型肝炎ウイルスが裁判で提訴すると同時に、どうした訳か今まで引っ掛かっていたウイルス検査が引っ掛かることがなくなった。50年近く悩まされ続けてきたので、嬉しさは大きかったが、「今頃、なぜ、どうして私の体内から消えたのか」を知りたいとの意識も強く感じていた。

そんな中で、世界規模での新型コロナウイルスのまん延が発生し、ワクチン接種の機会が訪れたが、私の人生でいつも起こる支障なのか、接種の順番がかなり遅くなってしまった。

そんな時、何の気なしに新型コロナに関して、web上で調べていると、京都大学ips細胞研究所の、あのノーベル賞受賞者の山中教授のブログを見ることになった。

そこに、新型コロナワクチンの抗体量の治験募集の記事が載っていて、ワクチン接種が遅いがゆえに、わずかに残った枠に当たり(確率100分の3)治験に参加することが出来た。

治験はワクチン接種の回数ごとに全部で7回の採血が行われた。そのうちの3回くらいは医師の方の面談もあったので、治験の趣旨から逸脱することだとは思ったが、自分がB型肝炎であって、最近になってB型肝炎ウイルスが血液検査で陰性となったこと、なぜそうなったかを知りたいという事などを申告し、可能であれば調べてもらえないかと3回の面談に、ことあるごとに懇願した。

さらに、創薬の開発にも関連しないかなどと、全くの暴走、戯言のたぐいであることは分かっていたが、どうしても知りたいとの思いから、かかる仕儀となった。

また、どう言う訳か、シルバー人材センターのアルバイトでもips細胞研究所に行く必要もあったことから、これも何かのご縁なのかもわからないと、シルバーの当時の相棒の女性の先輩と数回総務人事掛に伺うこともあったりした。

約1年強に亘っての治験が終わり、ワクチン接種での抗体量の変化の結果が送られてきて、治験に参加して少しは役に立てたのかと思うところだが、私の疑問である「B型肝炎ウイルスがどうして私の体内から消えたのか」の答えは今のところ得られていない。

どうしようもないことだとは分かっていたし、わかるはずもないことだということも想定はしていたが、今のところ予想通りである。

「地を這う虫 天を仰ぎて やや背伸び 悲しきかな」の心境

ただし、ips細胞研究所のご担当の濱崎教授と直接面談し、お話しすることもできた。前日NHKBSの番組に出演され、免疫のヘルパーT細胞、キラーT細胞、Tレグの説明をされていて、興味深く見せてもらったので、面談の時も話題に困ることはなかった。面談しゆっくりお話しすることができたことに一定評価したいと思う。濱崎先生は国内有数の免疫の権威である。

京都大学ips細胞研究所 リンク

その時も、先生に創薬を開発してもらいノーベル賞を取ってもらうくらいでないとこの気持ちは収まらないような勢いで話してしまった。

また、このB型肝炎ウイルスや新型コロナウイルスとの関わりの中で、生命について考えることもあった。

生命の歴史は長いが、私という生命体は、先祖を含めた生命の連鎖だとすれば、過去私の先祖がウイルスだった時代があったのかもしれない。今の新型コロナウイルスとの戦いは、異なった先祖との戦いなのかも分からない。さらに、ウイルスに免疫はあるのか。生命は進化のどの段階で免疫を獲得したのか。原始生命体はかなりシンプルに他者と結合して進化したのではないのか、ミトコンドリアを取り込んだように、そしてDNAは太古の昔の原始生命同士が結合する時の「取り決め」、「契約書」であって、契約違反の罰則が「免疫作用」で、がんは契約違反行為の状態で結合を勝手に解除しているのではないか等々、他愛もない妄想に浸り、生命の不思議を思ったりした。

どうしようもないことではあるが、今も心のどこかでは、ひょっとすると濱崎教授が私の問いに答えてくださり、創薬開発をしてただけるのではないかなどとほのかな期待は持ち続けている。

良い年をした老人の密かでささやかな思いではあるが、いずれにしろ、B型肝炎ウイルスに人生を翻弄され続けた者の、「悪あがき」なのだろうか。

患者支援活動参加に伴い知り得た「専門用語」

セロコンバージョン HBe抗原マイナス、HBe抗体プラス。B型肝炎ウイルスが抑え込まれた状態

外来環 歯科外来診療環境体制加算

歯科初診 歯科点数表の初診料の中に規定する設置基準

その他

標準予防策(スタンダードプレコーション)

核酸アナログ製剤

インターフェロン

分子標的薬 など

B型肝炎ユニバーサルワクチネーション

厚生労働省NDB 高齢者の医療の確保に関する法律基づく、レセプト情報・特定健診情報

ウイルス検査 特定感染症検査等事業による保健所及び各自治体が委託する医療機関での無料検査、健康増進事業による特定年齢の方への個別勧奨による検査

肝障害度を表す指標 child-pugh分類(チャイルドピュー)

肝炎情報センターによる

たわ言(感染力の強い感染症への対応についての私見)

今回の新型コロナの感染爆発に遭遇して、感じたことを述べると、基本として、防衛省と厚生労働省の連携をベースにして、感染力の強い感染症に対する戦闘体制や作戦を、有事として、今後整備する必要があるのではないかと考えた。

対人戦争は絶対にやってはいけないし、敵はウイルス等で、どんな感染の出方や拡大局面を迎えるかによって、しっかり戦略・作戦を構築しておくことが確実に必要となると考える。

間違った発言はしない、間違いはしない一辺倒で、戦略・作戦が立てられない議論ばかりの「小田原評定」に終始し、その場その場の状況に対する局所的な対応ばかりに明け暮れ、一方的にウイルスに進行され、全戦全敗の様相を呈してきているように見えてならない。

簡単ではないことは明らかだが、他国からの侵略に対して、あらゆる想定・戦略がなされているのなら、対ウイルス戦等への戦略が立てられないはずがないと思う次第だ。

今のこの状況では兵器としてのウイルスや細菌を使っての侵略には、全くなすすべがないとしか言いようがなく、国家そのものが消滅の危機を迎えることも想定されてしまうように感じる。

国家としての英知、「対応組織」「専門家」「医療体制」「医療能力」などを総動員して、対ウイルス等への戦いに立ち向かっていただきたいと思う次第だ。

市井の者のたわ言かも分からないが、どうであろうか。

2022.1.25時点のオミクロン・コロナ過について

1人の市井の者として、医療関係者、エッセンシャルワーカーの皆さんなどのご努力に感謝とエールを送ります。

志井の者のたわいもない思いではあるが、今の状況を見てみると、昨年12月以来、オミクロン株への水際対策が、第6波に向けても期間稼ぎとして強力に行われた。

そして、2022.1.25時点において、1日全国で60000人を超える感染者を出す、第6波に直面している。

主なものとして、濃厚接触者の追跡がいよいよ困難になっていること。その濃厚接触者に対する長すぎる待機期間の設定によって社会生活に支障が生じ始めている。

例えば、医療機関が機能しなくなったり、保育・教育機関が止まり始めるなどしている。

そして、感染に対する危機感からPCR検査へ多くの方が殺到してしまい、検査キットそのものが不足してしまっている。

また、医療機関において医師・看護師の不足と治療以外の業務多禍、保健所業務の逼迫などによって過去2年間の波の時と同じく機能不全に再び陥っている。

そのため実際のコロナ発症者や他の疾病・傷病者に対する医療提供できない状態を招いているように思われる。

批判や評論は端で見ていれば簡単なのかもわからないし、実際に対処されている方々に対して失礼であるという事は承知の上であえて申し上げるとして、

政府は最悪を想定し先手先手で対応していくとしていたが、その最悪とは具体的にどの程度の想定だったのだろうか。そしてワクチン接種も遅々として進んでいないように思う。

感染者の急速な増大に、会議での判断・手続きに終始し、(基本的対処方針なるものが果たして、オミクロンに適切に対応したものなのだろうか。)適時のかじ取りが出来ずに、後手後手に回り、前述のような状況になってしまっているように思われる。

また、昨年10月からの感染者の激減について明確な説明ができる専門家がいないのも悲しいことである。

そのことで本来の「市民への安心感の創出」と「重傷者、死亡者の発生を防ぐ」という事が出来ず、不安感や混乱ばかりが増強されているように思われてならない。もはや自然災害から人災へと移行しているようにさえ思えてしまう。

素人の考えとして、濃厚接触者、感染者、発症者、中等・重傷者ごとの対応を考えてみた。

ポイントは、オミクロンは感染者の多くが無症状だということは確認されているので、「発症」だと思う。

感染者の数は毎日報道機関で不安をあおるように報道されているが、詳しく発症者が何人なのかなどは全く報道されず、もう毎日訳の分からない対処法についての議論や、ウイルスの新たな不確定な情報を見さされている。

まず、発熱者や濃厚接触し検査が必要とする方の判断をする窓口を医療機関以外で設置し、専門の医療機関の検査場所で検査を実施していく。

移動手段として自家用車の他に、発熱タクシーなどを準備しておく

濃厚接触者・発症前の感染者は、保健所の管轄下に入り施設療養・自宅療養で待機し感染拡大を起こさない指導を主に受ける。

症状が出た時点で、保健所に自己申告し、場所は別にして医療機関と連携して治療に専念する。

このようなシンプルな対応はできないものなのだろうか。多くの優秀な専門家、官僚、自治体関係者などがおられると思うし、各都道府県で色々な取り組みがなされている。適切に対応する自治体もあるように、良い取り組みは大いに活用されることを願うばかりだ。

素人の根拠のない口出しは無用なのだろうが、どこか「会議は踊る」状態をみせられ、さらなる社会の混乱が生まれるのではないかと思うがいかがだろうか

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