伊吹山山頂
B型肝炎が少し落ち着いた(肝蔵検査数値は正常値には程遠かったが、)20代後半、職場の友人に誘われ、伊吹山に登った。それ以来職場の山岳部に入って、登山に結婚までの3〜4年間集中して行った。
山岳部では山行記録を部報として記録しており、私も多数の投稿をした。
私の場合、山に登りたかったのもあるが、どちらかと言えば、連れて行ってもらった感が強い。
主なものは、次のとおり。鈴鹿霊仙山・鈴北岳・御在所岳 比良武奈ヶ岳 京都愛宕山・比叡山・金比羅山 富士山 六甲山 倶留尊山 南アルプス北岳・間ノ岳・農鳥岳 奥美濃平家岳 小豆島拇指岳
小豆島拇指岳
御在所岳籐内壁 四国石鎚山 北アルプス北穂高岳・奥穂高岳 白馬岳 立山・剣岳 槍ヶ岳 槍ヶ岳北鎌尾根 中央アルプス千畳敷カール 北海道利尻富士と旭岳
慣れないロッククライミングにもチャレンジし、2回落ちた。一度目は、京都大原近郊の金比羅山の岩場(京都では知られた場所)のY懸尾根のホワイトチムニーからと、鈴鹿御在所岳籐内壁前尾根で落下。幸いにも打撲で済んだ。
御在所岳籐内壁前尾根
この中で印象深いのは、まず、大学卒業後数年を経て、大学の友人で、後にヒマラヤ、ナンガ・パルパットで遭難するK氏たちと、鈴鹿御池岳の登山に行った。山行中ずっと雨に降られ、粗末なテントでの徹夜だった。一晩中濡れながら話し続けた辛い登山。そのため強く記憶している。
有名な山にも登れた。トランスジャパンアルプスレースでよく映像が流れる、南アルプスの北岳・間ノ岳・農鳥岳の標高3000メートルの稜線の縦走。天気にも恵まれ清々しい登山だった。
穂高には、1982年6月中旬に、これも高校の友人N氏とテント利用で残雪の残る涸沢から北穂高岳・涸沢岳・奥穂高岳と霧の中で縦走できた。残念ながら眺望なし、奥穂高岳では側にあるはずのジャンダルムすら見えなかった
雪の涸沢ザイテグラード付近、奥左は前穂高岳
また、山岳部での夏山登山、立山と長次郎雪渓からの剣岳。映画「劔岳 点の記」の明治時代の登山競争の場となった剣岳に、最初の登頂ルートから挑んだ、真夏の雪渓登山。
5月連休明けに残雪の槍ヶ岳。雪の槍ヶ岳の頂上を時間無制限でN氏と二人だけで独占し、神々しい北アルプスの情景を楽しむことができた。
小説「孤高の人」の加藤文太郎で有名な北鎌尾根から槍ヶ岳へ。なかなか普通の登山では経験できない高度な登山だった。前述のナンガ・パルパットで遭難したK君はここを冬に登っていた。
遠い地方の山行では、結婚の前年の北海道利尻岳と旭岳である。1700メートル余りの山頂から海が見える利尻岳も素晴らしかった。
その後、職場の先輩Y氏、友人のI氏の3人で、紀伊半島の大峰八経ケ岳と大台ケ原に行くことができた。私には記録がないので、先輩Y氏の山行紀に当時の記憶を委ねたい
富士山は、3300メートルで断念し、それ以来登っていないが、
数年前、元の職場の先輩Y氏と、富士山の周囲を4泊5日で歩いて一周し、連日の絶景を楽しむことができた。
朝霧高原から
山中湖から
そして、60才を過ぎた今、登山は遠い記憶の中の出来事だと考えていたが、最近なって、元の職場の山岳部の先輩であり、大ベテランのO氏と友人のI氏の3人で、再び槍ヶ岳に登ることが出来た。本当に心から感謝したい。
槍ヶ岳は、3回目で、残雪の登山や北鎌尾根からの登山を経験していたが、最もポピュラーなルートにもかかわらず、年とはいえ、こんなにも手こずるとは思いもよらなかった。
槍ヶ岳殺生ヒュッテから
槍沢と殺生ヒュッテ
槍ヶ岳
山頂から槍ヶ岳山荘、笠ケ岳遠望
以前登った雪の槍ヶ岳山荘
今回も含め、やはりこれらを振り返ると、連れて行ってもらっている。本当に有難い話である。
39年前の2月に中央アルプスの千畳敷カールから木曽駒ヶ岳への登山を計画し、いざ千畳敷カールに行ってみると、猛吹雪でホワイトアウト状態の中、登山を断念したことがあった。
それ以来、中央アルプスには行くことがなかったが、65才を過ぎた今、その時一緒だったI氏と再度中央アルプスを訪れることになった。
今回、ロープウエイで千畳敷カールに着くと、周りがしっかりと見えていた。準備を整えいざ出発。トラバースし八丁坂に差し掛かった。
どんどん高度を稼ぐ。
八丁坂の核心へ
浄土乗越しへ上がることが出来、宝剣山荘へ向かう。
宝剣山荘到着
その後強風の中、中岳まで
縦走できたがここで登山中止し、山荘へ引き返す。
39年前上ることが出来なかったところまで何とか上ることが出来、上部の状態を確認できた。その日は山荘で過ごしたが、とうとう天候は回復することがなく、翌日も濃霧に包まれ全く視界がないまま下山を余儀なくされたが、I氏と満足な時間を堪能できた。リベンジは果たせたのではないだろうか感謝感謝である。
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