衣類について

衣類については全く興味外のことなので書くことはないと思っていた。それくらい人生でおおよそファッションには興味がなかったが、自分と衣類とについて思い返してみると、思い出すことは少なからず色々あることに気が付いた

幼い頃は、母手作りの衣服を着ていたように思う。特に福岡田川の時は母の着せ替え人形だったように思うし さすがに長崎飛島小学校に通うようになって、しばしば拒否反応を示したように思う

中学3年で京都に来た時、伏見中学の同級生をハイカラな中学生だと感じた 長崎今福中学・佐賀の武雄中学は全く同類の学生だと思っていたが、これをカルチャーショックというのか

買いたての学生服のズボンを、初日に伏見中学でかぎ裂きに破いた時は、さすがに母に合わせる顔がなかった

高校の時は、記念写真は全て学生服だが、3年間自由服だった。何を着てもよかったが興味は涌かなかったし、みんなの垢抜けした服装にもあまり興味がなった。それでも別でも記したように、当時の女生徒のミニスカートは衝撃的だった。毎日がファッションショーでは。

仕事の採用式には、当たり前だと思って学生服で出席したが、ほとんどの人がスーツ姿で、場違いな服装に恥ずかしさを感じたが、もう一人学生服がいたので胸を撫で下ろした。今にして思えば、その時が人生最後の学生服の着用だったのだ。

それでも一般的なブランドで、リーガルの靴を何足か持っているし、それこそ若い頃にはメンズクラブなる雑誌を購読したりもした。

身長は175cmを少し超えたくらいだが、さらに背を高く見せたかったのか、ヒールの高いブーツもジーンズと一緒に履いたりした

今現在も、あまり考えることがないように、同じ無難なダークグレイの色の物を好んできている。色々衣類を揃えて、悩まないようにしている

なにはおいても40年間スーツ生活を送ったことは一番の思い出である。

いまもってネクタイについては冬の襟元の防寒対策としての機能しか考えられない 後はファッションなのだろう。ローマ軍に起源があるとかだが、全く機能を無視したアイテムしか思えない

全く興味のない衣類についても、この年になると色々考え深いことが色々浮かんでくるし懐かしさでいっぱいであるが、結局今でもこれを着たいなどという思いに駆られたこともなく、興味がわかないままであることには変わりがない。

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