結果とプロセス、老いの確認

結果とプロセス

社会的にこれと言った実績を残した訳でもない人間が、こんなことを記すのは、失笑に値することなのかもわからないが、実績の大小は別にしての話として、最近思ったことで。

若い頃は、とにかく結果ばかりにこだわり、そのプロセスについて多少は努力をしたが、評価することはなかったように思う。

ところが、ここまで年を取ってくると、例えば、スポーツで優勝してもらえたメダルを見た時、メダルがここにあること自体より、いかにしてこのメダルを手にしたかのことを考えるようになってきた。

結果は結果でしかなく、そのプロセスの重みの方が貴重であることに気付いたのかもわからない。遅きに失した感は否めない。

今の年になって、これから何を得るのかを考えた時、若い時はまだ与えられた時間の多さに、多くの結果を求めたが、時間に比例して、これから得るものの少なさを感じ取ってしまい、結果として過去を思ってしまうためなのだろうか。

いずれにしろ、これからいかにして少ない何かの結果を得るために、これまでの経験から、結果を掴むプロセスを思い返し、この年にふさわしい何かが得られるように努力したいと、細やかな希望を抱いているところである。

老いの確認

一方、そうは言いながらも、老いを感じることも多くなってきた。今徐々に感じている老いを上げると、

歩行のぎこちなさ、階段での体の重さの増加

バレーボール時の不完全な身体の動きとジャンプ力の低下

軽度と思われる不眠症

飲酒後の眠気

男の更年期障害か自律神経の不調による高血圧、顔のほてり、腹痛、頭痛などの周期的な発生

強度の目の飛蚊症

ハッとする、首のしわ

張りの無い筋肉

若い頃、座禅中に後ろに倒れそうになる高齢者を見て、酔っぱらってでもいるのかと疑問に思っていたが、いざ自分が高齢者になってみると、最近の座禅で後ろに倒れそうになっている

古い固まった記憶は順序立てて思い出せるが、最近の記憶を順序立てて記憶できないことによる、記憶の忘失と混乱(あわてる)行動

足の爪の変形(水虫ではないかと言われてしまったが)

指を初めとする骨の変形

などなど、確実に老いは進んでいると思う。

その上で、若さについて考えてみると、こう感じている。

航海に出て、大海原を目にし、どこまで広がっていて、どこに行きつくのだろうというような感覚が、若さではないのかと思う。それは、もう港に入ろうとする感覚の老いとの対極にあるように感じる。

今のところ、私には港はまだ見えていない。

定年後の生活は、私の場合、充実感を伴うもので、幸運を感謝しているが、そうは言いながら、物理的な身体や記憶力の衰えとどう折り合いをつけながら、これから過ごしていくのかが大きな課題ではある。特に他者に迷惑をかけないことに注意が必要だと思う次第だ。

18才と81才の違い

友人から教えてもらったこの文章は、出処は定かではないらしいが、何かしらのユーモアを感じたので、載せさせていただいた。ただし、この年代の方が、一律こうだとは決して決めつけるものではない。

・恋に溺れるのが18才、風呂で溺れるのが81才。

・道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才。

・心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才。

・ドキドキが止まらないのが18才、動悸が止まらないのが81才。

・恋で胸詰まらせるのが18才、餅で喉を詰まらせるのが81才。

・偏差値が気になる18才、血圧・血糖値が気になる81才。

・まだ何も知らない18才、もう何も覚えていない81才。

・自分探しをしている18才、皆が自分を探している81才。

・同窓会は安否確認会 同窓会を楽しもう

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